「背脂ラーメン」を生み出したラーメン店「杭州飯店」(徐直幸店主・新潟県燕市西燕)を支えてきたおかみ、徐富子さんが10月24日、肺炎で亡くなった。74歳だった。その弔問、通夜が10月29日、VIPシティホール燕で行われた。
時節柄、三密を避けるため29日は近親者だけで通夜を行い、その前に一般の弔問を受けた。本来なら会場に入りきらない弔問客であふれたはずだが、弔問客はひっそりした会場で遺族にあいさつすると祭壇の前で焼香。故人と最後の対面をして会場を後にした。ひつぎの中の富子さんは安らかな表情だった。
以前から腎臓がんをわずらっていた。今回はそれとは直接、関係はなかったようだが、数カ月前から体が小さくなったと思えるほど衰弱していたようで、肺炎から死に至った。
富子さんと親しくなったのは、2013年に杭州飯店開業80年の取材に伺ったときから。5年後の18年には観光の視点で杭州飯店の味の秘密に迫る記事の取材にうかがった。背脂を入れたのはラーメンが冷めないためという定説は後付けの理由で、背脂の甘みを加えるためだったと杭州飯店二代目の夫、勝二さん(74)から教えてもらった。
この取材で夫婦のツーショットを撮った。ふたりともこれ以上ないほどの笑顔で写真に納まってくれ、富子さんからは、いい写真を撮ってくれたとすごく喜んでもらった。
そして19年4月に行われた勝二さんの叙勲受章記念祝賀会では、取材だけでなく司会の手配などでもかかわらせてもらった。会場には俳優の渡辺謙さんや小説家の林真理子さんから贈られた花も飾られ、華やかだった。
田野隆夫燕商工会議所会頭は、勝二さんが「富子さんをもらうのには5回目の見合いでやっと来てくれた嫁だから、これに出られたら俺は二度と嫁さんをもらわない。最愛の妻だと思ってずっと愛してるとおっしゃった」と結婚するときのエピソードを紹介した。
勝二さんの謝辞では富子さんがぴたりと横に寄り添い、読み間違えを訂正したり、つかえると読む部分を指したりして会場に笑顔を振りまいていたのが、きのうのことのようだ。富子さんの遺志を継ぎ、80年以上に及ぶ杭州飯店の歴史を家族を中心にしっかりと継承していってほしいと願わずにはいられない。会場で配布されたお礼の言葉の一部を引用させてもらう。
「母の笑顔を偲んで」
母が笑うと 周りの雰囲気が一気に明るくなった」
ものでした そんな母には友だちが多く
食事や飲み会 カラオケにボウリング
旅行などを楽しんでいました お声がかかると
“いってきま〜す!”と間髪いれずに
エプロンを脱いで嬉しそうに出かけていった姿が
今も昨日のことのようによみがえります
父を支え 店を盛り立ててきた母は
仕事にも遊びにも一生懸命なパワフルな人でした
「富子さん」「ママさん」と皆様に親しまれ
充実した日々を送ることができました
後年は父の傍に寄り添い献身的に尽くすなか
孫息子が店を手伝うようになって
喜んでいた姿も忘れられません
店を切り盛りしている家族とスタッフへの
感謝とねぎらいの気持ちを込めて
母は折にふれ揚げたてのカツを作り
みんなの紳をひとつにしてくれました
晩年は入退院をくり返していましたが
一時帰宅のときには 母を囲んで かけがえのない
家族団らんの時間を過ごすことができました
母の笑顔はみんなの心のなかで
生き続けることでしょう