新潟県三条市出身で三条市名誉市民のプロレスラー、ジャイアント馬場(本名:馬場正平)さん(1938-99)がハワイで最後に乗っていた愛車のキャデラックが12月8日、ふるさと三条市に寄付され、株式会社諏訪田製作所(小林知行社長・三条市高安寺)の新社屋に展示された。9日午前10時から一般公開される。
キャデラックを所有するジャイアント馬場さんの肖像権と商標を管理している株式会社H.J.T.Production から寄付を受けた。同社の緒方公俊代表取締役の母は、ジャイアント馬場さんの妻のめいにあたる。
このキャデラックは以前にも東急グループの巡回展で展示されている。昨年12月に三条市で開かれたジャイアント馬場没後20年記念展で、緒方代表取締役から多くの人にジャイアント馬場さんの愛車を見てほしいと寄付の打診があり、「三条ジャイアント馬場倶楽部 」(中条耕太郎会長)が間に入って三条市への寄付が決まった。
三条市の図書館等複合施設が完成後、現在の図書館を改修して2023年度にオープンを目指す名誉市民顕彰コーナーに展示する予定だが、それまでの間、完成まもない諏訪田製作所新社屋に展示されることになった。同社は以前からイベントなどで超高級車を展示している。
寄付を受けたのは、1976年型の「キャデラック エルドラド コンバーチブル」で、白いボディーカラーの2ドア、幌(ほろ)の屋根が電動で開閉できるコンバーチブルタイプ。全長5800×全幅2030×全高1400mmもあるビッグサイズのアメ車で、排気量は8,000ccを超える。
エルドラドはキャデラックの頂点で、スクエアなヘッドライトとボディー、スペックや装備でも最高級を追求したモデル。フルサイズのコンバーチブルは76年型が最終でアメ車マニアには注目の車だ。
ジャイアント馬場さんは、米国で武者修行の時代に「人間発電所」と称されたイタリア出身プロレスラー、ブルーノ・サンマルチノからジャイアント馬場さんの大きな体に合う車をとキャデラックをプレゼントされて以来、同じ色、同じ型のキャデラックを乗り継いでいる。
キャデラックは、8日午後3時前にトラックに積載されて到着。社屋正面玄関を入ったエントランスホールに約1時間かけて搬入した。ナンバーは取っていないが、自走可能。エンジンをかけるとマフラーからもくもくと白煙を上げて、ハンドルを切るとキュルキュルという異音を発生することもあった。玄関のドアは車幅プラス30センチほどの幅しかなく、慎重に作業を進めて設置した。
午後5時から贈呈式を行い、緒方代表取締役はリモートで参加して滝沢亮市長に目録を贈呈。キャデラックにかけた黒い布を滝沢市長、中條会長、小林社長の3人を取り、滝沢市長はさっそく運転席に乗り込んだ。あいさつで滝沢市長は「ジャイアント馬場さんの私生活、プロレスラーとしてのこれまでの活躍がわかる貴重なキャデラックが三条市に来るのは、いち三条市民として、いちプロレスファンとしてとてもうれしい」と喜んだ。
小林社長は「シートに座ったら何も言葉にできなかった」、「三条市民として、新潟県民として、プロレスファンとして馬場さんのリアリティーを感じられると思う。たくさんの人に見てほしい」と話した。
緒方代表取締役は、ジャイアント馬場さんは、ハワイでは毎日、夫婦でこのキャデラックに乗って買い物やゴルフに出掛けたことを話し、「プロレスラー、ジャイアント馬場を知っている人はたくさんいると思うが、人間、馬場正平というところも感じてもらえれば」と願った。
また、滝沢市長は一橋大学時、寮の知り合いに一緒にやろうと勧めれて「一橋大学世界プロレスリング同盟(HWWA)」に所属した。リングネームは「ポテト三郎太」。「うれしいタイミングでこういう話があり、大学の友だちにも自慢して、プロレスを一緒にやってた人からも、いいな、いいな、という言葉をいっぱいもらっている」と話した。
国定勇人前三条市長夫婦もキャデラックに乗り込み、藤田明美加茂市長も会場を訪れていた。一般公開は毎日午前10時から午後6時まで行われ、当面の休みは12月31日から来年1月2日までと来年4月1日。