新潟県三条市出身で三条市の名誉市民、昭和のプロレスラーとして活躍したジャイアント馬場(1938-99)の功績を後世に伝えようと活動する「三条ジャイアント馬場倶楽部」(中条耕太郎会長)の2代目名誉会長に12月11日、滝沢亮三条市長が就任した。
ジャイアント馬場の名誉市民を目指した三条市民を中心とする「三条の英雄・世界のジャイアント馬場を名誉市民にする会」は、2016年9月5日に名誉市民になって目的を達したため解散したが、あらためてその功績を顕彰する三条ジャイアント馬場倶楽部が2018年11月28日に発足した。
その初代名誉会長に国定勇人前三条市長が就任したが、10月15日で辞職し、代わって11月9日に滝沢亮市長が市長に就任したことから、名誉会長も代替わりをとなったもの。11日は会長の中條耕太郎会長(50)=三条市=が市役所を訪れ、滝沢市長とふたりで就任承諾署名証書に署名した。
三条ジャイアント馬場倶楽部が仲介役となって8日にジャイアント馬場の愛車だったキャデラックが三条市の諏訪田製作所に展示されたばかり。中條さんは、ジャイアント馬場がスポーツで名をはせたシンボル的な人物でいてほしい、人物像としてジャイアント馬場さんのすばらしさを知ってほしいと会の思いを話した。
ジャイアント馬場の「一、二をやらず四、五をやるな」というジャイアント馬場の言葉を引用して「一歩一歩、確実に積み上げていこうとご協力いただきたい」と滝沢市長に名誉会長就任を頼んだ目的を話した。
滝沢市長は一橋大学時代、「一橋大学世界プロレスリング同盟(HWWA)」に所属し、リングネームは「ポテト三郎太」。プロレスを研究し、自身もリングに立つ大のプロレスファンで、名誉会長就任をもちろん快諾。名誉会長就任を「まあ序盤戦ということで」と言う滝沢市長に中條会長は「まず探り合いを」と返した。
滝沢市長が大学時代にジャイアント馬場さんの大技、川津落としを繰り出していたと言えば、中條会長は滝沢市長が再びリングに立つことがあれば「セコンドぐらいつきますから」と、プロレス話で盛り上がっていた