新潟県三条市の「二・七」と「五・十」の定期露店市の出店者でつくる三条市場親和会(島影三津枝会長)は、ことし8月の西日本を中心とした豪雨で大きな被害を受けた三条市との縁が深い佐賀県武雄市に義援金10万円を届けてほしいと10日、三条市に託した。
三条市は国定勇人市長、武雄市は樋渡啓祐市長だった時代。いずれも総務省OBで後輩、先輩の関係だった縁で両市は交流を深め、2011年4月から13年3月末まで2年間、人事交流で互いに職員1人を出向させた。
武雄市から三条市へ出向したのが池田修一さん(45)。2010年9月にスタートしたばかりの三条マルシェを担当する地域経営課に配属され、三条マルシェ草創期の仕組みづくりから貢献し、三条市場親和会との調整役としても汗を流した。三条マルシェに武雄市が参加したり、武雄市のイベントに三条市が参加したりと交流を深めた。
池田さんの着任直前の3月11日に東日本大震災が発生し、池田さんは三条市に開設された福島県南相馬市からの避難者のための避難所の運営も担当。さらに夏には三条市が7.29水害に見舞われ、池田さんは五・十の定期市の会場の四日町市場の復興支援にも協力するなど、内容の濃い2年間を過ごした。
武雄市は、2019年にも史上最悪と言われるほどの被害を受けたが、ことしの「令和3年8月11日からの大雨による災害」による豪雨被害は、それを上回った。
池田さんと親交が深かった三条市場親和会では、武雄市の災害復旧に少しでも役立ててもらえたらと、予算から10万円を寄付することを決めたもので、10日は島影会長と長谷川孝志事務局長が市役所を訪れて滝沢市長に義援金を手渡し、武雄市へ届けてほしいと託した。
三条市と三条市場親和会をつなぐことにも池田さんが力を尽くし、島影会長は「定期市はとても市役所に世話になり、長くいいお付き合いをさせていただいている」と感謝し、長谷川事務局長は「早急に復興してもらうためにもジュース1本を買う金にもなれば」と話した。
滝沢市長は「今は市役所としては武雄市と直接の人事交流はないが、皆さまから当時のご縁をつないでいただいているのはありがたい」と述べ、義援金を届けることを約束した。
サプライズで池田さんとテレビ電話でつなぐ予定だったが、池田さんの仕事で実現できず、代わりに池田さんからのメッセージを読み上げた。メッセージの全文は次の通り。
三条市場親和会 御ー同 様
島影 三津枝 会長
長谷川 孝志 事務局長
このたびの武雄市における「令和3年8月11日からの大雨による災害(これは内閣府での災害名称です)」に際し、多大なる義援金をお寄せいただくとのこと、心から御礼申し上げます。
わずか2年で2度の大規模な災害が起こり、心身ともに疲弊はしながらも、一日も早い復旧や生活の再建を目指し、オール武雄で助け合い、支え合って着実に前に進んでいます。
皆様の想いと真心が、被災された方々にしっかり届けられるよう、大切にお預かりし、おつなぎさせていただきます。
10年前にいただきましたご縁で、皆様のお気持ちに触れ、本当に感激して感謝の念に堪えません。
そして池田のことを覚えていただいていたことに、受話器を持ちながらも涙が出そうになりました。
当時、知り合いも親族もいない人生初めての新潟県で、三条市で2年間お世話になりましたが、小麦色に日焼けして佐賀の方言を駆使する30代の私を、皆様に温かく迎え入れてもらった日は今も鮮明に残っています。
三条市で奉職させていただいた期間は創成期の三条マルシェにも関わらせていただきましたが、島影会長、長谷川さんをはじめとする親和会のみなさまの強力なお力添えと叱咤激励抜きでは一緒に前に進めることはできなかったものと確信しています。
ここで、個人的に大事にしております思い出に少し触れさせていただきます。
恋塚課長に伴われて島影会長のご自宅にまでお邪魔させていただいた際、何を相談しに伺ったのかは失念しましたが、出していただいたとても甘いメロンの味と汗が噴き出すほど緊張していたことははっきりと覚えています。
そして、長谷川さんから購入させていただいた日本海のおいしい魚介類とサービスでいただいた人生初の筋子も。特にこの筋子はどうやって食ぺたらいいのか分からずかぷりついてしまい、挙句には正式な食べ方をインターネットで検索して、三条のおいしいお米と一緒にゆっくり味わったのもつい先日のように思い出します。
いつか時が許せば、市日のときにひょっこり顔を出して、皆様にあらためて直接御礼が言えればと思っております。
その時を楽しみにこれからも励んでまいります。
末筆ながら、島影会長、長谷川事務局長をはじめとする三条市場親和会の皆様のますますのご発展とご健勝を心より祈念申し上げます。
そして、今回おつなぎいただいた三条市営業戦略室の皆様、大変ありがとうございました。
武雄市職員 池田修一