あさま山荘事件からきょう19日でちょうど50年とメディアが伝える。1972年(昭和47)2月19日、連合赤軍メンバーが長野県軽井沢町の浅間山荘に押し入り、管理人の妻を人質に10日間にわたり立てこもった事件だ。
次の50年後は当時をリアルタイムで知る人はほぼいなくなっているだろう。当時は11歳だった。今も断片的に当時のことを覚えている。
あらためて調べてみると、事件は72年2月3日から13日まで行われた札幌五輪が閉幕して間もなく始まっている。69年にアポロ11号の月面着陸、そこで採取した月の石が展示の目玉になった70年の大阪万博。高度成長経済の真っただなかで、「金がないと言っている人の意味がわからない」と父が振り返って言ったように、日本国中が好景気にわき、浮き足立っているような時代だった。
そこに冷や水を浴びせるような事件だった。断片的な記憶の始まりは、スキーへ出掛けた日だ。日曜だっただろうから、当時のカレンダーを繰ると事件発生から3日目の21日だ。一緒にスキー場へ出掛ける父の同僚宅を父と訪れたときだ。多分、石打スキー場へあたりへ向かったのだろう。もちろん当時は高速道路もなく、冬用タイヤと言えばスパイクタイヤだ。
日が出る前の早朝で、外はまだ暗かった。いろりのあるような居間に座るとテレビに映っていたのが、あさま山荘事件だった。子どもながらに大変なことが起きていると戦慄を覚え、ブラウン管に目をくぎ付けだった。
その後もこたつに入って横になり、ミカンをほおぼりながら連日、テレビ中継される事件のニュースを見ていた。犠牲者が出てますますニュースに引き込まれていく。崖に建つあさま山荘を見上げる映像が脳裏に焼き付いている。
そして10日目の逮捕劇。クレーンでつった鉄球であさま山荘を破壊するようすに、もっといい方があるのではないかと思いながら見ていた。そして日没近くにメンバーを逮捕。まさにかたずを飲んで見た。テレビのアナウンサーの興奮した声。今も立てこもり事件のニュースを見るたび、いやでもあさま山荘事件を思い出し、重ねて見てしまう。
映画『突入せよ! あさま山荘事件』を見たし、あさま山荘事件の話題が出るたびにテレビ出演していた映画の原作者でもある当時の佐々淳行警視正の名前も忘れない。あさま山荘事件をきっかけにカップヌードルが爆発的にヒットしたという話も有名。一方で、これを書くために検索しているなかで、逮捕が報道された直後に犯行メンバーのひとりの父が自死したという事実を初めて知った。
自分の脳のなかの事件の記憶はみるみる蒸発していったが、ネット社会になってから再び獲得している情報が多い。書物、ラジオ、テレビ、レコードなどがそうであったように社会はもちろん、ネットというメディアが個人の記憶や思考に与える影響の大きさを痛感している。