3月末で閉校する三条市医師会准看護学院(水野春芳学院長・新潟県三条市南新保)の最後の卒業式と閉校式が2日、燕市・燕三条ワシントンホテルで行われ、58年の歴史で延べ1,624人の卒業生を輩出してその役割を終える。
閉校式の式辞で水野学院長は学院の歴史を振り返った。1953年(昭和28)に開設された三条市看護婦補助員養成所が前身で、64年(昭和39)3月に同養成所が廃止されると同時に学院が開校した。
開校当時は多くの開業医が講師を務めため、授業は夜間に行われ、日中は働いている生徒が多かったが、97年(平成9)から日中に授業を行うようになった。
68年(昭和43)に県立吉田病院附属看護専門学校が開校すると、正看護師を目指して進学する卒業生が増えた。しかし、中越地域をはじめ正看護師を養成する学校が増え、少子化もあって受験者数減少の厳しい現実に直面した。
さらに講師の高齢化、講義を担当する開業医の減少、実習先の確保など学院の継続運営が厳しくなり、2018年(平成30)から学院の運営会議や三条市医師会で閉校が協議されるようになり、19年(令和元)6月28日の令和元年度第2回三条市医師会定時総会で閉講が可決した。
定員割れの問題を同じくする新発田北蒲原准看護学院も今月末で同様に閉校する。「これにより県内では准看護士養成の道が閉ざされた。存続を断念せざるをえなかったのは本当に断腸の思い」と水野学院長は延べる一方、20年に開校した三条看護・医療・歯科衛生専門学校が引き継いでくれたことを喜び、これまで指導し、励ましてくれた先生や関係機関に感謝した。
第23期生の富永草野病院の看護部長、山田勝子さん(54)=三条市=が謝辞を述べた。「実習を通じて出会うことができたあこれがの看護部長と2人の看護主任には今も心から感謝し、これからも目標にしたい」、「学院の卒業生であることを誇りに思い、今度は地域医療に少しでも貢献できるようこれからも努力していく」と述べ、関係者に感謝した。
山田さんは当時、燕市の産婦人科の開業医で看護助手として働きなら夜間、学院に通った。そこで世話になった医師がこの2月に亡くなったばかり。「当時は見て覚えての時代。それがなかったら今はない。それもあって込み上げてきた」と謝辞では声を詰まらせることもあった。
最後の第57期卒業生は25人で、うち15人は吉田看護専門学校へ進学し、10人は就職する。在校生のいない卒業式で最後の卒業生答辞を述べたのは、安達早苗さん(42)=長岡市=。長岡市の特養老人ホームで介護福祉士として働いていたが、休職して学院に学び、今度は准看護士として職場に復帰する。
高校を卒業して一度は看護学校に学んだが、途中であきらめた。「介護と看護の両方の知識があればもっと貢献できるのかなと」。卒業式では学院長賞も受け、新たな門出に自身の力で花を添えていた。