新潟県議燕市・西蒲選挙区補選(5月20日告示・29日投開票・欠員1)に3月31日に燕市議を辞職して出馬を表明した堀勝重(ほり かつしげ)氏(59)の事務所開きと総決起集会が8日行われ、市議として2期7年5カ月の実績や立候補者としての正当性を訴え、必勝を誓った。ほかに昨年7月に県議を辞職して衆院選に立候補した高倉栄(たかくら さかえ)氏(50)と3月末で燕市議を辞職した柴山唯(しばやま ゆい)氏(38)が立候補を表明している。
先の燕市長選で鈴木力選挙事務所に使ったのと同じ杣木地内の建物を借りて開設した事務所で事務所開きを行い、支持者ら約50人が出席した。
神事のあと開会あいさつで中条守後援会長は、出馬の相談を受けてから経緯などを話し、「人生は二度ない。お前にその気があるなら家族がいちばん大事だから家族と良く相談したうえで決断すればいい」と堀氏の判断に任せた。
後援会は「快くみんなが堀後援会なんだから、お互いに頑張ろうとなった」。補選は3人が立候補を表明しているが1人しか当選できず、「きょうこれを契機に後援会が一致団結したなかで、そんなに日にちはないが頑張っていきたい」と協力を求めた。
来賓の細田健一衆院議員は、「保守にとって不戦敗というのは絶対にあり得ない」なかで「私と戦った元職の方と連合の支援を受けるという方がいるが、こういう中で本当に大変な決断だった」と堀氏の決断や家族、後援会にも感謝した。
堀氏を「剛直の人」で「一度決めたら、もうとことん突き進む」と評し、「本当に地域に根ざしてこつこつ活動されていることに頭が下がる思いでいつも拝見している」。1回目の市議選はトップ当選し、真価が問われる2期目でも「圧倒的な得票で2位を獲得された」と評価した。
農振除外、米価下落、市独自でもいろんな政策を打っているが「私も国の立場から頑張っていくが、県にも頑張っていただく。その先頭に立って頑張っていただきたい」、「燕弥彦地域に保守の旗をしっかり立てるということで私も頑張っていく」と述べた。
鈴木燕市長は、厳しい選挙戦になるが、市議として7年5カ月の実績で「ひるむことなく胸を張って堂々と戦っていただきたい」とあいさつを始めた。
堀氏とは上司と部下の関係で始まり、生活困窮者の自立を支援する県のモデル事業に当時、担当だった堀氏が手を挙げようと提案したことを振り返った。それには受け入れ企業の協力も必要で、堀氏の直属の上司も消極的な状況だったと思うが、堀氏は「とにかくやりましょうよ、やらせてくださいということを強く訴えた。なかなかガッツのある職員がいるもんだなと思った」。そして、「実際。彼はそれをやり切り、上々の成果を上げてくれた。有言実行そんな堀勝重」。
8年前に堀氏が退職して市議選に出たいと相談に来たときは、自身が県職を辞めて市長選に出たときの状況と重なり、「お互い涙を流しながら必ず当選して戻ってこいよと握手をしながら彼の退職を承認した」。
「トップ当選後の市議会での活躍は目覚ましく、2期目にして副議長を務めるというような状況」で、高く評価していることが3つある。
ひとつ目は「市民、地域の声を徹底的に拾い上げて持ち前の行動力で政策に仕立てて提案する」。令和6年度オープンの全天候型子ども遊戯施設は、市民の声を受けた堀氏が3回にわたり一般質問しで提案し、必要性を訴えた。
「私もついにその声に背中を押してもらうような形で今回、決断をさせていただいた」。自身も市長選で「この全天候型子供遊戯施設を作ろうと胸を張って市民に訴えることができ、支持を得られた」と感謝した。
2つ目は「提案が実現できるように自ら汗をかく、それをいとわない行動力」。小中川小学校の通学路の整備や小中川コミュニティの借地の解消に対し、「彼は地権者や自治会長の所に行って、我々がスムーズに用地交渉ができるように仲を取りもってくれた」。
燕市が県下に先駆けて取り組んだ地域スポーツクラブには、堀氏が「真っ先にバレーボール協会として手を挙げてくれ、自ら指導者として子どもたちにバレーボールを指導してくれた」。
3つ目は最も高く評価し敬意を払っているところで、「裏表がなく、信頼できること」。毎年、市政報告会を開いて大勢の支援者と情報交換し、定期的に支持者へあいさつ回りし、コミュニケーションをとっている。「これは私自身も学びたい姿勢」。
市議に続いて県議という「2度目の大きな決断に心から敬意を表する。必ずや県議会議員になった暁には、今まで以上に大きな視点で立ち、私とこれまで築いてきた信頼関係のもと、私と同じ方向に向かって燕市政の発展のために取り組んでくれると確信している」と話した。
小林豊彦弥彦村長は、「堀氏が1月にたずねてきて立候補を考えているという話をいただき、即座にわかりました。応援させていただくと申し上げた」。その理由について「4年に1回、選挙民に判断をいただくことが一番大事だと思っている」が、今回も無投票を懸念していたので、応援すると堀氏に答えた。
堀氏とは燕弥彦総合事務組合議会と執行部との懇親会で初めて会い、「その後、なんとなく馬が合うと感じていた」。堀氏が当選して地元のために頑張ってもらい、新潟県の地盤沈下を何とかして止めてほしいと期待。「そうでないと子どもたちが帰ってこない。子どもたちが誇りをもてる新潟県にもう1回、何とかしてほしい。そのためには県議会に新風を吹き込み新しい力で頑張っていただきたい」。
高倉氏を念頭に「平成29年に今もっていちばん私が悩んだ、苦しかったときのサイババ騒動があり、それが終わったときに、私はあなたを許すことはできないと直接はっきり申し上げた。本人もわかっていると思うし、村民もあるていど理解していただいているので、何の憂いもなく堀さんを応援させていただく」と明言した。
大原伊一市議会議長は、新人議員の堀氏に仕事を振ったことに「なんで私が堀さんを頼るかっていうと信頼できて、ちゃんと仕事ができるから堀さんに任せないかんなという判断をする」。
「仕事もできる、頭も切れる、ただ少し短気なところがちょっと困る」が、「その短気なところを少し直して、太っ腹になって些細なことでぐちゃぐちゃ言わねえぞというような大物に育っていただきたい」、「本当に信頼できる議員なのでぜひとも県議会議員に当選をされて、それからが勝負だと思っているので、この選挙を勝ち抜いていただきたい」と話した。
堀氏が決意表明を行った。堀氏は、ことの発端は高倉氏が県議を辞職して衆院選に立候補して落選してから再び県議に戻ろうとしていることに市民から「私の耳に入って来るノーという言葉が多くあった」。
一方で、燕市議会、弥彦村議会から対抗馬を出さなければという話を聞いた。地域や企業から出馬を求める声を聞くようになり、最終的に家族と相談した。「大勢の人、それなりの人から出てくれと言われるのは本当に幸せなこと。家族一丸となって応援するから、その期待に応えることに意義がある」と家族に言われ、吹っ切れて決断した。
選挙に出るにあたり、人口減少対策、そして高齢者福祉の充実、子育て支援の充実を掲げ、取り組んだ。燕工業高校跡地に建設された特別養護老人ホームの誘致、子ども医療費助成制度の対象の高校生までの引き上げ、旧燕市の未満児保育の拡充、そして全天候型子ども施設については一般質問で3回目に取り上げたときに「市長はもう並々ならぬ思いで取り組みますという答弁をいただき、よしっと思って喜んだ覚えがある」。
「県政に新しい風を!!」をスローガンに掲げた。「県議会でもいろいろなことが報道された」が、「新しい風ということで私が変えていきたい」。そして「今後のこの燕市、弥彦村の地域、さらなる発展のために引き続き皆さまの声を聞いてしっかりと県の方に届けたい」。
1丁目1番地は「ひとりひとりの声をしっかりと聞いて、それを課題解決のためにしっかりと県の方に届け、真剣に私は働く。これはお誓い申し上げる」、「鈴木市長、小林村長としっかりと連携をとって各々の首長さんが、これから目指すまちづくり、それに対してしっかりと連携をとりながら、よりこの地域が発展するように頑張っていきたい」と支援を求めた。
続いて事務所前で総決起集会を開き、百数十人が集まった。ここでは後援会顧問の燕商工会議所・田野隆夫会頭があいさつ。田野会頭は高倉氏について「村会議員に1回当選したけども、県議選は1回も戦ったことがない。1回も選挙で勝ったことのない人が県議を3期もやっていけた。いかに今まで選挙がなかったのかということがはっきりわかる」。
柴山氏については「この前の市議選でトップ当選したが、市議を1期もやらずに、市議の仕事もできない人が、燕の市民の代表として県会に行って何が仕事ができるのか。地元の町内の人が誰1人、町内推薦をしていない。堀候補は、地元の住んでる町内6ヵ字の皆さんが全員、推薦状を出して、後援会活動を力強くやってきた」とほかの立候補予定者と堀氏の違いを指摘した。
堀氏は長い行政経験を生かして燕市議のなかでも「トップクラスの仕事をしてきた」。「県会に行っても市議会のときと変わらずに、燕市民のため、弥彦村民のため力強い仕事が間違いなくできる」。
当選には約2万票の得票が必要で「中途半端な数じゃない」、「1票でも皆さんのお力をお借りして上乗せしていかないとなかなか勝てない」、「浮動票が約40%もあり、その票が大きく流れてしまうと、どうしようもない。だから、どうか皆さん若い人を中心にお願いしたい」と引き締めた。
若い人を自身の車に乗せてでも投票に連れて行くとし、「ものすごく一生懸命やってる私でも1票、どうでもいいやってやつも1票。それがこの選挙の難しいところ。どうか皆さんの力をお貸しいただき、2万票取るような作戦をしなければ勝てないので、何としてでも勝ちたいと思っている」。
最後に総決起集会に集まった人の多さに驚いたと話し、「これほどたくさんの皆さんが堀勝重を愛してくださってると大変、心強く思っている。最後まで応援をお願い申し上げる」と求めた。
後援会顧問の中山真二市議は、「選挙は非常につらく、厳しく、孤独なもの。堀くんも今、大勢の支援者に囲まれながらも孤独感を時々、味わっていると思う。今、自分で県議選という所にはしごをかけて、皆さまの支えがあって上っている。この支えを最後まで支え続けていただきたい。また、県議というみこしに乗って、みんなが担いでくれると思いながら今、頑張っている。最後までそのみこしを担ぎ続けていただきたい」と願った。
出席を予定しながら新型コロナウイルスの濃厚接触者となったため出席できなかった加茂市の藤田明美市長からのメッセージを読み上げた。藤田市長は加茂市議1期生の時に堀氏とは同じ志を持つ議員同士で県央政策研究会を立ち上げた間柄だった。
「自分のためではなく人のために全力で動くことができるのが堀勝重という人物であり、そのような同志がいるからこそ、私も加茂市で頑張ることができる」と感謝し、「この地域に本当に必要な人は、この地域のために本気で働く人はと考えれば、堀さんしか選択肢はないと断言できる。残された時間はわずかだが、堀さんの実力を堀さんの人柄を少しでも多くの方に知っていただけるよう、私は全力で応援する」とつづった。
最後にガンバローコールを行って必勝を誓った。