「三条っぱらい」という言葉をご存じだろうか。三条市の生まれ育ちではないので良く知らなかったが聞いたことはあった。言葉の響きからネガティブな印象があり、三条の人は支払いが悪い、だらしないとかいう意味じゃないかと思っていた。
一度、SNSで意味を質問したことがある。結果は、三条っ子の多くが同じようにネガティブなイメージをもっていた。
「三条っぱらい」の意味について初めてちゃんと説明を聞いたのは数年前、知り合いの村上市民からだった。説明では、村上藩の財政が厳しかったときに、支払いに窮して村上藩の領地だった三条に払ってもらってくれと言ったのが由来とのこと。だから三条には足を向けて寝られないと教えてくれた。
真逆に理解していた。三条は村上藩を財政的に支えていたというわけだ。以来、村上に親近感を抱くようになった。この本来の意味をどれだけ知ってるいるのか確かめたくなってSNSで質問した。
15日の三条祭りの大名行列に村上市の高橋邦芳市長が参加することになった。まったく個人的な興味で高橋市長に「三条っぱらい」という言葉を確かめたいと、大名行列の休憩中に高橋市長に質問してみたところ、ご存じだった。高橋市長に解説してもらった内容は次の通り。
高橋邦芳 村上市長
三条に任せておけば村上藩、内藤家は盤石だと言う意味で、三条の皆さんのおかげで村上藩、内藤家、これが藩政を維持できた。実はこれ、石高を見ても明らかなんですよね。村上藩、村上の城下での石高と三条領での石高、もう三条領での石高の方が多いわけですから、そういう意味では、三条の皆さんとともに村上はあるということ、それが「三条っぱらい」ということ。三条の皆さんに感謝をするというふうに私自身は、これまで教えていただきました。
というわけで、高橋市長も本来の意味を知っていた。さらに大名行列に参加していた前三条市長の国定勇人衆院議員に聞くと国定氏も知っていた。確か国定氏は村上の3万石に対して三条は7万石と教えてくれた。そう言えば国定氏も三条市長時代、ちょいちょい村上へ足を運んでいた。
三条が村上藩を支えたことに加え、本来の意味を三条市民があまり知らないということは、そのことを声高に自慢したり、恩を着せたりしてこなかったと思われるわけで、ますます三条の株が上がった。
この史実を裏付けにして三条と村上のつながりが深めたらおもしろいと思っている。7月6、7日の村上大祭もことしは3年ぶりに行われるという。何かの機会に村上大祭に三条市長も参加できたらと思いをはせている。