日本人ボクサーとして初めて米国ニューヨークのボクシングの聖地、マジソンスクエアガーデンのリングに立った新潟県加茂市出身のプロボクサー、高橋竜平(たかはし りょうへい)選手(32)=神奈川県横浜市=が7日、引退を表明。2012年のデビュー戦から10年、プロ生活に終止符を打つ。
高橋選手は5月20日のスーパーバンタム級8回戦で木村天汰郎選手に判定負けした報告を兼ねて加茂市の藤田明美市長を表敬訪問した席で引退を表明した。
高橋選手は加茂暁星高校時代に加茂市内のボクシングジムでボクシングを始め、進学した東洋大でもボクシング部に入部。卒業後は横浜光ボクシングジムに所属し、2012年にプロデビューを果たした。
14年にバンタム級で全日本新人王を獲得。17年12月のIBF(国際ボクシング連盟)アジア パンパシフィック スーパーバンタム級王座決定戦で優勝してチャンピオンとなり、翌18年6月の初防衛戦にも勝利した。
19年1月、IBFスーパーバンタム級の世界チャンピオンから対戦1週間前に突然の挑戦者の指名を受けて世界戦に挑んだ。11回TKO負けだったが、マジソンスクエアガーデンのリングに立った初めての日本人ボクサーとして日本のボクシング史にその名を刻んだ。
その後は3連勝したが、昨年11月の試合で判定負け。引退も考えたが現役続行を決断。再起を目指した今回の試合で2連敗を喫し、去就が注目されていた。
妻の沙也(さや)さん(28)、長男の希音(まおと)ちゃん(9か月)と一緒に市役所を訪れた高橋選手は、はじめに3月30日の加茂市表彰で高橋選手に贈られた表彰状を藤田市長から受け取った。
昨年11月の敗戦で高橋選手が引退を考えたことについて藤田市長が話すと高橋選手は、負けたにもかかわらずサポーターが応援してくれ、「挑戦できる環境があるのに投げ出すのは違うかなと思った」と話した。
そのうえで「今後のことについて報告がある」とし、「プロボクシングの世界では結果がすべて。今回の試合をもってボクシングを引こう、引退しようと考えている」と引退の意思を明らかにした。
藤田市長は「本当に知らなかった。引退を表明すると知らなかった」と驚き、動揺。「1回は引退を考えたから、今回もどうするか考えていると思っていた。続けるのかなという希望も自分のなかではあった」と現役継続を願っていた。
高橋選手は表彰状を受けたばかりだけに、「このような賞をもらいながら」と恐縮。「人生の半分以上ボクシングっていうライフスタイルだった。それから離れてるのはやっぱすごく寂しいところもあるけども、いつかやっぱりやめなければいけない。 それが少し早まった」、「ボクシング人生を振り返ると、 こんなに幸せなことはない」、「皆さんのサポートのおかげでボクシングをまっとおうできた」と振り返って支えてくれた人たちに感謝した。
今後については「具体的には決まっていながい、ボクシングと並行してやってきた介護だったり、障害者福祉の仕事をやりながら、ボクシングのキャリアを生かしたり、何かしらボクシングに携わっていきたい」と話し、またトレーナーとなって加茂山を走るなど加茂市での合宿してボクシングを広めたいという夢も語った。加茂市は国体のボクシングの会場になったこともある。
ボクシングを志している人には、正しい方向性で努力することを求め、サポートがあって初めて成り立つので、自分の顔を広めるプロモーションをしていかなければならないとも話していた。