衆院選新潟選挙区の応援で自民党広報本部長の河野太郎衆院議員が9日、新潟入りし、午後3時半から新潟市・万代十字路で応援演説を行った。ここでも河野氏や運動員らは喪章を着けて黙とうを行ってから街頭演説をはじめ、河野氏は安倍前首相と取り組んだ政策を振り返った。
河野氏は「選挙応援に来たわけですが、少し安倍さんの話をさせてください」と、2人とも最初は酒が飲めなかったという思い出から話した。政策的に最初に安倍さんと行ったのは、北朝鮮の船を日本の港に入れないようにする法律をつくろうという働きかけだったが、政府の動きが鈍かった。それならと菅前首相や現群馬県知事の山本一太氏と一緒に議員立法を出した。
党が前向きでなかったときに後押しをしてくれたのが当時、小泉内閣で官邸にいた安倍前首相だった。おかげで北朝鮮の入港禁止法ができて、北朝鮮の船の入港を禁止することができるようになった。安倍内閣では最初に国歌公安委員長、防災・行政改革、規制改革、消費者庁をやった。
厚生労働省が大きくなり過ぎ、1人の大臣でコントロールするのが難しくなった。内閣府にだけ特命担当大臣を置けることになっているが、各省にも特命担当大臣を置けるようするめの法案を準備しようと、行政改革担当大臣として法案を準備し、提出までいきそうだったが当時、TPPの条約法案の審議が遅れて残念ながら国会に出せなかった。
その後、外務大臣に就き、米国のトランプ大統領のもとで日米同盟をどうやって強化するか、日露の平和条約交渉の加速化にプーチン大統領と安倍前首相がシンガポールで合意をし、交渉の責任者を任されて平和条約交渉に取り組んだ。
残念ながらロシアのウクライナ侵略で、この交渉は頓挫したが、日露関係を前に進め、日米同盟を強化するという安倍さんの強い思いを感じながら仕事していた。
きのう安倍前首相が亡くなったという訃報が流れたあと、当時、一緒に外務大臣をやって米国のポンペオ国務長官をはじめさまざまな国の外務大臣から安倍前首相を惜しむメールや連絡をもらった。「日本の国を代表し、これからも世界で発言をすることが大いに期待をされていた安倍さんだった。本当に残念に思う」と悔やんだ。