2004年の平成16年7月新潟・福島豪雨「7.13水害」で9人が犠牲になった新潟県三条市で水害からちょうど18年になった13日、五十嵐川の堤防決壊場所に設置された五十嵐川水害復興記念公園にことしも献花台が設置され、堤防決壊時刻の午後1時15分から黙とうをささげた。
「慰霊之碑」の前に献花台を設置した。黙とうには滝沢亮市長をはじめ地元県議や市議、さらに市民数人を含め20人ほどが参列。1分間の黙とうのあと、順に献花台に白いキクの花をささげ、こうべを垂れて冥福を祈った。
滝沢市長は、今では7.13水害を経験していないが約半分にまで増え、客観的に見られる面もあるが、「これまでと違った情報発信の仕方、お願いの仕方、巻き込みの仕方がある」とし、市役所と市民の役割の線引きをはっきさせず、「市民にお願いするところはお願いし、市民からも役所にやってほしいということを聞く意見交換の場をつくっていかなければならない」と話した。
7.13水害で床上60センチまで浸水する被害を受けた地元の諏訪二丁目自治会長、高橋義晴さん(69)と静江さん(70)夫婦は毎年、黙とうに訪れている。
当時、義晴さんは朝、川向こうにある会社へやっとの思いで到着したものの、堤防決壊で橋も通行止めになり、家に戻れなくなった。「ふだんからいつでも避難できるようにするのがいちばん大事。わかっていてもなかなかできない」といざとなると避難や対応の難しさを話した。
静江さんは「とくに最近、ご高齢の方が多いので、その人たちを避難するときどうするか」。さらに義晴さんは、上流に遊水池も設置されたが、予想をはるかに上回る雨が降ることがあり、「河川の工事が進んでもあの勢いではまただめなることもあり、これでいいことはなく大変だと思う」と近年の豪雨の怖さを話した。