ロシアの軍事侵攻でウクライナから避難し、新潟県三条市が受け入れることになった男子大学生ニキタさん(18)が13日、三条市に到着して新生活をスタートした。いずれは家族も三条市へ呼び寄せたいと願っている。
ニキタさんはウクライナ北東部の生まれで、4歳から首都のキーウに住んでいる。ウクライナの大学で日本学部に学ぶ2年生。成績は1位と優秀だ。図書館で越後の禅僧、良寛の俳句について書かれた本を読んだのがきっかけで日本に興味をもった。
株式会社常盤不動産の社長、鈴木豪一郎さん(51)=東京都大田区=が3月6日に会社のFacebookページでウクライナ支援物件を投稿したところ、これまで100件以上シェアされ、拡散されてニキタさんにも届いた。
その後、避難先として鈴木さんの妻が三条市下保内出身そこから、三条市に住むおじさん、前三条市長の国定勇人衆院議員を経由して三条市への受け入れにつながった。
三条市立大学で週に1日、聴講する。三条市立大学は4月7日にウクライナ学生の受け入れを表明した。ほかにも受け入れを表明していた大学はあるが、学籍の問題などもあり、受け入れてくれたのは三条市立大学だけだった。
ニキタさんはポーランドのワルシャワを経由して3日に来日し、10日間の隔離をへて13日から鈴木さんが用意した三条市内の物件に居住して三条市での生活を始めた。
13日、ニキタさんは滝沢亮三条市長に面会した。スリムな長身で、燕三条駅でTシャツからウクライナの正装「ヴィシ・ヴァンカ」に着替えて鈴木さんとともに訪れた。
三条市役所で職員が横断幕を掲げたり、ウクライナ国旗を振ったりの出迎えに驚き、滝沢市長は「ようこそ」という意味の覚えたてのウクライナ語「ラスカボ プロシモ」と話してニキタさんを歓迎。三条市からの見舞金を手渡した。
ニキタさんは生活にはまったく不自由がないほど日本語がうまい。まず安全な場所にいられることを喜び、「自分の得意な分野で勉強し、知識を伸ばし、日本の皆さんにウクライナについてもっと発信し、両国の関係をもっといい方向に進めたい」と話した。
キーウには父と母、姉夫婦と妹を残している。家族を日本へ避難させることを検討中で、「できれば三条に来てほしい。ウクライナはまだまだ危険なので家族と一緒に過ごしたい」と願った。
また、「戦争の状況がまだまだ続いていることを日本の方々に覚えていてほしい」、「数世紀もウクライナは独立のためにずっと戦ってきた」、「ウクライナの歴史をロシア人からではなく、ウクライナ人から聞いてほしい」といった思いも話した。