「越後平野の守り神」ともうたわれる大河津分水が通水100周年を迎えた25日、それを記念したイベントが現地で行われ、大河津分水可動堰(かどうぜき)のゲートオープンセレモニーに始まって分水中学校生徒による学習会&演奏会、分水小学校児童によるライトアップ&メッセージ記入で100年の節目を祝っている。
大河津分水は、信濃川の流量を減らして相次ぐはん濫や堤防決壊を防ぎ、下流域を水害から守ろうと建設された。明治末に建設が始まり、東洋一と言われた大工事で、建設工事とその後の補修工事、維持管理工事で100人もが殉職している。
1922年(大正11)8月25日からちょうど100周年を迎えたことを記念して国交省や下流域の市町村の周年記念事業実行委員会を組織してこの日の記念イベントを迎えた。
ゲートオープンセレモニーは、100年前の通水の瞬間をイメージして可動堰のゲートをオープンした。国交省北陸地方整備局信濃川河川事務所の今井誠所長が「新潟の人々の暮らしを守ってきてくれた大河津分水路の建設に貢献した偉大なる先輩たち、地域の皆さんに感謝をして次の100年、またこの大河津分水路が地域を守ってくれることを祈って新たなスタートが切れるよう皆さんと一緒のこの100周年を祝いたい」とあいさつした。
カウントダウンを行い、長さ約44メートルのゲートが6つ並んだ可動堰の1つのゲートがゆっくりと作動。せき止められていた信濃川水が大きな音を立てて大河津分水の下流側に流れ込み、水煙りも舞い上がる大迫力だった。
今の可動堰は2011年11月23日に供用を開始したが、その4カ月前の7月29日、7.29水害に見舞われた。信濃川のはん濫を防ぐため、供用開始前の可動堰を稼働させて越後平野を守った。
2019年の10月12日から13日にかけての記録的な大雨でも上流側の長野県の千曲川で大規模なはん濫が発生。県内でも長岡市などで越水が発生した。
大河津分水ははん濫危険水位どころか計画高水位を超え、観測史上最高水位の17.06mを記録。それでもはん濫も破堤もせずに下流域を守りきり、あらためて大河津分水の力を思い知らされた。
このあとゲートの前で関係者で記念撮影。右岸河川敷の30×40メートルのカンバスにICTでショベルカーが自動運転して堀った大きな「100」の数字を披露し、その前でも信濃川下流域の市町村の旗を掲げて記念撮影した。