大河津分水通水100周年となった25日行われた記念イベントの最後は、「未来につながる事業実行委員会」を組織する国交省や関係9市町村長が顔をそろえた通水感謝式が行われ、100周年の大きな節目を祝った。
午後6時から信濃川河川事務所大河津出張所構内の特設ステージで行われた。実行委員長の中原八一新潟市長は「本日100周年を迎えた大河津分水と、先日50周年を迎えた関屋分水に思いをはせ、私たちの豊かな暮らしをこれからの未来につないでいく取り組みを今後、皆さまと一丸となって進めてまいりたい」とあいさつした。
地元分水小学校の4年生が総合的な学習の時間を使って1人が1つずつ作った灯ろうを旧洗堰に並べた。4人の4年生がステージに上がり、大河津分水に感謝のメッセージを届けたい、これからも守ってほしいという願いを込めて灯ろうを作ったと発表。最後にカウントダウンを行なって旧可動堰、今の可動堰と洗堰に設置されたライトアップの照明を点灯すると大きな拍手がわいた。
続いて実行委員らで、建設中の第二床固(とこがため)の部品に使われているステンレス製のプレートにメッセージを寄せ書きした。このプレートは、川底のコンクリートの構造物が川の流れで摩耗するのを防ぐために張られる。
最初に地元の鈴木力燕市長「大河飛燕」と書いた。これはちょうど1年前に実行委員会を設立したときに各市町村長が色紙に思いを書いたときにも書いたもの。
滝沢亮三条市長も色紙に書いたのと同じ「和泥合水」、藤田明美加茂市長は「祈・安全安心、そして、感謝」、佐野恒雄田上町長は「先人の功績を讃え想いを胸に新たな100年」、小林豊彦弥彦村長「感謝」とそれぞれ書いた。このプレートはしばらく信濃川大河津資料館に展示しておく。
鈴木燕市長はメッセージに書いた「大河飛燕」の言葉について、「大河津分水に心より感謝をするとともに、その存在意義、役割をしっかりと未来につなげられるよう、ずっと語り継いでいく。その恩恵を受けて燕市はさらなる飛躍を遂げるように取り組んでいきたい。引き続きしっかりとこの地域を守ってくれるようお願いする。そんな意味合いを込めた」と話し、2日後の27日に行う燕市独自の記念イベントにも大勢の人が足を運んでくれるよう願った。
最後に北陸地方整備局の内藤正彦局長があいさつした。大河津分水では「令和の大改修」を行なっているが、「これも非常に厳しい工事だが、しっかり進めたい。大河津分水路が次の100年も越後平野を洪水から守り、地域の発展を支えることができるよう全力で取り組んでいく」と述べた。