「普通の主婦が市会議員選挙に出る。それが私の強み」と新潟県燕市の任期満了に伴う市議選(10月16日告示・23日投開票・定数20)に新人の高橋妙子氏(48)=燕市道金=が立候補を決意した。
新潟市西蒲区岩室地区の出身。県立巻高校を卒業し、東京の外国語専門学校で1年間、英語を学び、その後は渡米するつもりだったが、体調を崩してふるさとに戻った。
新潟市で数年間、就職して営業職を勤めたあと、岩室の実家に戻り、派遣社員として製造業で検品の仕事に就いた。30歳で結婚して燕市へ移り住み、子どもが生まれると働くのをやめて子育てに専念。子育てが落ち着くとともにパートで働き始めた。製造業で正社員になっていたが、市議選に立候補するため8月で退職した。
これまで政治や社会運動とはほとんど接点がなかったが、最近では令和4年8月豪雨で被災した村上市へ支援物資を届けに行き、泥出しの泥を詰める土のう袋が足りないことを知る気づきがあった。2004年で中越地震で福祉関係の知り合いと被災地へ視察に言ったことがある。フードバンクの活動を手伝ったこともあり、政治の力で社会を変えたいという思いがふつふつとわいてきた。
「本当に困っている人たちは、声を上げることもできなくなっている。そんな人たちが表に出て声を出してくれる社会が実現がすることが理想」と高橋氏。「生きづらさを感じている人に寄りそう。そこに市会議員としては働きかけができ、違うアプローチができると思う」。
半年以上も悩んだ末に盆ごろに立候補を決意した。「後援会も支援団体もない。一般企業に勤める普通の主婦は出られない。そんなことを言ってると、地盤や看板がない人はいつまでたっても選挙に出られないのはおかしい」。一市民と同じ目線で市議会に立ちたいと考える。
家族は夫と高一の長女の3人。夫に立候補の意思を伝えると、賛成も反対もなかった。と言うのも賛否を判断するほど市議会についての情報をもっていなかった。市議会が市民から遠い存在になっていることも憂えている。
自転車であいさつ回りを始め、つじ立ちをするうちに、地域のつながりが薄れていることを再確認した。これでは災害発生時の共助に不安があり、「地域の力を高めていきたい」。若い人からものづくりのまちである燕市の企業に興味をもってもらうためにも、労働環境の改善が必要と考える。
ほかにも防災面でペット飼育者に関する避難所運営の提言や市内の吉田、分水の2つの県立高校の存続ための取り組みなどを掲げて支援を求めている。
「これといった後ろ盾はひとりもいない。自分しかいない。誰か助けください状態。それでも楽しい」と立候補を決めたことに迷いも効果もなにひとつなく、「リスクを冒してもやると決めた」と前だけを向いている。