ニキタさんは転出のあいさつのため滝沢亮市長に面会し、本人から三条市民へのメッセージを預かった。メッセージでは感謝の言葉をつづり、「三条での思い出と経験をウクライナの輝かしい未来につながる私の小さな種として大切にしていきたい」などとある。
ウクライナ避難者を支援する団体「三条市ウクライナ避難民 受入支援の会」は、募金活動で9月28日までに寄せられた支援587,566円のうち、20万円をニキタさんに贈呈している。ニキタさんからのメッセージ全文は次の通り。
三条市の皆様へ
これまで、私の歩みを支え続けてくださっている三条市の皆様に心より感謝申し上げます。
これまでの進路は簡単ではありませんでしたが、三条市を始め関係する皆様が様々な手続きの手配や、私が本当に必要としていた経済的支援を提供してくださったことにとても感謝しています。
貴重な機会を与えてくださった三条市立大学とアハメド シャハリアル学長や、一緒に勉強をした学生の皆さんに感謝します。私とウクライナを支援してくれる事を決めて募金活動などをしていただいた三条市の企業や多くの市民の皆様に感謝します。また、滝沢市長を始めとする三条市役所の皆様にもお世話になりました。
友人になってくれた三条市の皆様のおかげで、三条での生活はより良いものとなりました。皆様の優しさと気遣い、そして心遣いに本当に感謝しており、その友情は私にとってとてもかけがえのないものとなっています。どうもありがとうございました。
三条市は私を受け入れてくれて、東三条駅前商店街の夏祭りに参加したり、三条夏祭りでは「まちやま」で花火を見たり、滝沢市長と農場を訪問して枝豆の収穫体験をしたり、中央公民館でウクライナの歴史について講演したりできてとても光栄でした。
今、私は勉強を続けるために茨城県に引っ越しをすることになりました。
三条市を初めて訪れたとき、このまちは私の故郷のポクロフにとても似ていると皆さんにお話ししました。ここに来て3か月経った今、私は三条市がとても魅力的なまちだと知ることができました。都市生活の全てを備えた小さいながらも居心地の良い都市であり、同時に山や川も近くにあります。
三条市は私の日本での故郷になりました。私はこれから旅立ちますが、ここで生活することができたことは一生忘れません。
私は三条市の多くの人に、ウクライナとその文化、食べ物、地理、そしてウクライナの真の歴史についてお話ししました。三条市は今、日本のどの都市よりもウクライナに対して理解のあるまちであると思います。三条での思い出と経験をウクライナの輝かしい未来につながる私の小さな種として大切にしていきたいと思います。いつかこの種が木となり、やがて森となって、その森が国境を越えて日本とつながる日が来ます。その日、世界は知るでしょう。ウクライナと日本は単なる友人やパートナーではなく、家族であることを。