新潟県燕市の大河津分水路右岸河川敷で発掘調査が行われている古墳時代の遺跡、石港遺跡(渡部地内)で3日、現地調説明会が開かれた。とくに発掘調査での出土は珍しい「子持勾玉(こもちまがたま)」が公開され、注目を集めた。
子持勾玉は、勾玉の背や腹、側面に子勾玉を付けた形状をしたもの。縄文時代以降にまつりに使われた装身具と考えられている。
石港遺跡で出土したものは長さ約6センチ。「C」のような形をした子勾玉が背中に4個、腹に1個付いているほか、側面にも突起がある。柔らかくて加工しやすい滑石(かっせき)と思われる。
石港遺跡のすぐそばの「夕暮れの岡」でも1934年(昭和9)に市民が子持勾玉を採集している。子持勾玉の出土は県内では十数例しかないらしく、しかも発掘調査で発見された例はさらに少なく、埋蔵文化財の関係者を驚かせた。近くにある竹が花遺跡は前方後方墳と推定されており、石港遺跡との関係も注目されている。
石港遺跡の渡部橋の大河津分水路右岸たもとから上流側の河川敷。大河津分水路の改修事業に伴って燕市教育委員会は2020年度、21年度と試掘、確認調査で多くの古墳時代の土器と遺構を発見している。遺跡は南北約230m、東西約350mに広がり、発掘調査はことし7月下旬から行い、今年度の調査面積は約9,000平方メートル。高低差があり、高い所から低くなった所に遺物が集中していた。ことしは大河津分水通水から100年。東洋一と言われた建設工事の遺構の線路の犬釘やレールも見つかった。河川敷は建設工事で大きく削られたように見えるが、遺跡が見つかったことか大きく土を掘り起こしていないこともわかる。いずれにしろ1,500〜1,700年前の古墳時代の集落と100年前に通水した大河津分水路の建設工事の痕跡の両方を体感できた。
現地説明会には217人が訪れてにぎわった。地元の渡部地内に住む女性は「豪族でもいたんでしょうか。大河津分水がなかったときは渡部神社ともつながっていたので、川の下にもいろいろ遺跡があるのかなと思っていました」と歴史に思いをはせていた。
■出土品の写真