新潟県燕市の一般財団法人燕市スポーツ協会(田辺良文会長)は21日、燕三条地場産振興センターリサーチコアで3年ぶりにスポーツ講演会を開き、空手の世界チャンピオンに輝き、空手の日本代表監督も務めた新潟市西区出身の林晃(はやし こう)さん(61)の講演を参加した燕市スポーツ協会の関係者や地元の空手の指導者など100人近くに聴いてもらった。
このあと燕三条ワシントンホテルで開いた燕市スポーツ協会の新年祝賀会の出席者を中心に講演会を聴講した。講演会は毎年恒例にしているが、ここ2年間は新型コロナウイルス感染防止のため中止していた。
林さんは東農大卒で、世界選手権は88年に組手75キロ級、92年組手無差別級で金メダルを獲得。全日本選手権の成年組手では、88年から5年連続準優勝した。
15年から組手を含めた日本代表監督に就き、19年から男子組手監督に就任。東京五輪では、組手男子75キロ超級の荒賀龍太郎(荒賀道場)が銀メダルを獲得した。
東京五輪後に監督を退任し、今は新潟市スポーツ振興課に勤務するかたわら空手の育成強化はもちろん、空手の魅力を広く市民に伝えている。
講演では林さんは、選手時代の経験からナショナルチーム監督に就任したことや東京五輪について話を進めた。1986年第8回世界大会で70キロ旧決勝でフランスのマシー選手と対戦した。25歳だった。3回目の世界大会チャレンジで1回目は4位、2回目はベスト8で、今度こそはと大会にのぞんだ。
試合は6ポイント先取で、林さんは4−2とリードしながら一瞬の油断を突かれて4-6と逆転負けした。自分のの弱い心に気づいた。マシー選手が精神力の塊のように見えた。「私にないのは見ただけで感じる強さ。自分にないのはそれと思った。強さを感じさせる選手にならなければだめだと思った」。
自分の命のことも考えるようになった。先祖をさかのぼると、そのうち1人でも欠けたら今の自分はいない。「いろいろそれぞれの人生がいっぱいたくさんあったと思うが、苦しい日々を送ってこられて戦国時代の経験もしてきたんでしょう。皆さんが一生懸命、生きてきて、そして今、自分があるんだと思うと、これこそが奇跡の命と思えた」とあらためて自分に命をつないできてくれた人たちに感謝した。
マシー選手との対戦では、対戦を思い出して口調が熱くなるだけでなく、当時の対戦のようすを少しでもリアルに感じてもらおうと、自然に体を動かして試合の動きを再現して熱く思いを伝えていた。