新潟県燕市は3月31日、職員退任式を行い、定年退職7人、再任用任期満了5人、自己都合9人、転出1人、県への割愛1人の19人に鈴木力市長から退職辞令を手渡した。
鈴木市長は辞令書を手渡して「お疲れさまでした」とねぎらい、退職者と握手した。あいさつで、定年退職者は昭和、平成、令和と年号が変わり、バブル崩壊、直近では新型コロナウイルスの感染拡大と、危機的な状況も含めていろんな社会環境の変化に対応したことに感謝。「燕市役所で積み重ねてきた経験を生かして新しい分野でその力を発揮していただきたい。いろんな形で燕市を見守り、応援してほしい」と願った。
退職者を代表して再任用を1年務めた高野光郎下水道課参事(61)と定年退職の小池和恵農業委員会事務局長(60)の2人があいさつした。
高野さんは昭和55年に当時の吉田町役場に入庁し、再任用期間も含めて通算43年間、奉職したことから話した。いちばんに思い出すのは、平成18年の3市町の合併に伴う制度調整や休日返上で取り組んだ新市の予算調整をあげた。
最も心に残るのは平成27年度から2年間、水道局に配属されたときに、3地区の浄水場の統合に向けた水道料金の統一だった。水利権のかかわりで漁業協同組合や土地改良区関係機関へ説明に出向いた。
水道料金の改定のために検討委員会を立ち上げ、新しい水道料金の改定案をもって市内の企業をいくつか回った。住民説明会も15回ほど重ね、「かなりハードというか、難儀な仕事だった」。
そんななかでも鈴木市長や職員が強いリーダーシップで引っ張ってくれた。「何よりも優秀な職員、素晴らしいスタッフに恵まれて突っ走った2年間だった。こんなに2年間が短く感じられたの初めて」で、「私にとっては充実した2年間だった」と振り返った。
最後に「燕市のさらなる発展を願い、期待するが、私はこれから自分の趣味をちょっと楽しみながら、心と体に少しゆとりをもたせた生活をしていきたい」と話した。
続いて小池さんは、昭和56年に旧吉田町に入庁して総務課に配属されたことから話した。和文タイプライターが習った「あいうえお」順ではく、「いろは」順だったのに苦労した。電話交換では相手先が誰かわからなくなったり、電話をつなぐのが遅いと怒られて涙が出そうになったことも。吉田まつりのセンスがないのか踊りを覚えるのに苦労した。
平成18年度に3市町が燕市として合併してから17年たち、そのうち11年を農業委員会事務局に務めた。最初の8年は窓口業務や議案の作成、総会の準備、農家台帳の整備が主な仕事で、その後、水道局に3年、会計課に2年、令和2年に農業委員会事務局へ戻った。
12月には農業委員の定数改正、翌年6月には農業委員の任命があり、議会で説明に立ったのは「とても貴重な体験をさせていただいた」。退任式を迎えられたのは市三役や職員の指導、支援のおかげと感謝し、「退職後は心穏やかに一日一日を有意義に過ごしていきたい」と述べた。