加茂市出身の「異色の画家」橋本龍美の回顧展が近美で開催 (2023.5.1)

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新潟県加茂市出身の日本画家、橋本龍美(りゅうみ、本名:誠吉)(1928-2016)の没後、初めての大規模な回顧展「望郷の画家 橋本龍美展ー神も、庶民も、バケモノも」が、4月15日から6月4日まで新潟県立近代美術館(長岡市千秋3)で開かれている。展示された約70点の作品が「異色の画家」と呼ばれた橋本龍美に見えていた世界観で満たされている。

新潟県立近代美術館で開かれている「望郷の画家 橋本龍美展ー神も、庶民も、バケモノも」
新潟県立近代美術館で開かれている「望郷の画家 橋本龍美展ー神も、庶民も、バケモノも」

橋本龍美は独学で画家を志し、1952年(昭和27)に新制作協会の日本画部で初入選した。独特の画風で受賞を重ね、現代日本美術展や国際美術展にも出品。高く評価された背景には、おばあさんに聞いたふるさとの夜話に登場する魑魅魍魎(ちみもうりょう)や加茂祭の興奮があった。

創画会の創立会員になって妖怪たちをユーモラスに描いた。子どものころの原風景や日本古来の宗教観。日本の伝統美術の影も垣間見え、見るほどに発見があって飽きることがない。

「母子像」1952年
「母子像」1952年
「化くらべ」1974年
「化くらべ」1974年

橋本龍美は経済的には決して恵まれなかったが、作品を手放すことを嫌ったと言う。東京都調布市のアトリエにたくさん遺された作品を中心に、ざっくりと時代を追って初期から晩年の作品を展示し、画業を顕彰している。

当初は2020年の開催を計画したが、感染禍もあって先送りになった。宮下東子専門学芸員は「龍美さんが亡くなった直後にご遺族から連絡をいただき、ようやく実現した。7年も待たせてしまった」と開催にこぎつけたことを喜ぶ。

「風之唄」1981年
「風之唄」1981年
目がいい人でも虫めがねがほしくなるほど小さな文字でびっしりと書かれた橋本龍美さんのノート
目がいい人でも虫めがねがほしくなるほど小さな文字でびっしりと書かれた橋本龍美さんのノート

35年前に新潟県美術博物館で開かれた展覧会では、同じ創画会に参画した加山又造(1927-2004)も来場し、橋本龍美の作品をすごくほめて帰ったと聞いている。

「神、仏、妖怪といった人間の目に見えない畏(おそ)れ、敬虔(けいけん)さがあると思う」。対話型鑑賞をすると非常に盛り上がると言う。

「町づら、裏づら」1988年
「町づら、裏づら」1988年
「万華」1995年
「万華」1995年

前半生は、おばけや見世物小屋のへび娘、後半生は加茂の庶民を描くようになった。小学校時代の同級生に誘われて出かけた中国旅行で取材した中国でも、庶民の生活に目を向けた洛中洛外図のような作品も描いた。

加茂市で生まれ育った人にとってやはり興味深いのは、加茂市をゆかりのものを描いた作品だ。加茂山やその中腹にある青海神社を描いた作品は多く、そこにえたいの知れないお化けだったり、動物だったりが描かれる。

中国旅行で取材した「大地吟愁」1999年
中国旅行で取材した「大地吟愁」1999年
描きためたスケッチ
描きためたスケッチ

加茂市の目抜き通りをふかんしたように描いた『町づら、裏づら』(四曲一隻屏風)や『清翠加茂市末廣之図』(額装)にある家々は、どこの家を描いたものかわかる部分もある。

加茂祭の行列もかなり忠実に再現してあり、昔の生活様式や文化も。少しの空間も無駄にしないという勢いでびっしりと細部まで描かれている。そこまで鑑賞していたら、いくら時間があってもきりがない。

未完の絶筆
未完の絶筆
橋本龍美
橋本龍美

宮下専門学芸員は「全部、流して見るともったいないので、ちょっと気に入った作品だけでもじっくり見るといろんな発見があり、発見したものの解釈が人によって違ってくる」と橋本龍美の作品の魅力や鑑賞のこつをアドバイスしている。

橋本龍美に師事した加茂市民の来場が目立ち、図録(2,000円)も人気だ。観覧料は一般1,200円、大学・高校生1,000円、中学生以下は無料。5月以降の関連イベントは次の通り。

■ワークショップ 「さがすとみつかる 作者のココロがみえてくる!?」

橋本龍美の作品をじっくりとみると、いろんなものを発見できる。みんなで見つけたものを教え合い、楽しく語り合う。

日 時:5月1日(月) 14:00〜
会 場:当館企画展示室 ※要観覧券
定 員:10名
ナビゲーター:宮下東子専門学芸員

■こどもワークショップ 「お絵描き好きな子 集まれ 変身!お化け地蔵」

橋本龍美が描くお地蔵さんは、キツネや妖怪が化けている?
いや、お地蔵さんが妖怪に化けている!?
紙をパタンと倒して変身、そんなお地蔵さんを描いて遊ぶ。

日時:5月5日(金・祝) 14:00〜16:00
対象:小学生(保護者参加可)※高校生以上は要観覧券
定員:10名
会場:ロビー
講師:宮下東子専門学芸員

【事前申込が不要なもの】申込先:TEL.0258-28-4111(9:00〜16:30)

■ギャラリートーク

展示室で、橋本龍美の作品を、楽しくわかりやすく解説します。

日時:5月14日(日)/6月4日(日) 各日14:00〜
会場:企画展示室 ※要観覧券
講師:宮下東子専門学芸員

■美術鑑賞講座 「橋本龍美の世界 ?神も、庶民も、バケモノも」

橋本龍美の人と作品について詳しく話す。

日時:5月20日(土) 14:00〜
定員:165名
会場:講堂
講師:宮下東子専門学芸員

memo

33年前の1990年、当時62歳の橋本龍美氏を取材した。その年の12月に東京・大丸東京店で開かれた個展「橋本龍美日本画新作展」のことを取材するために調布市にある橋本氏のアトリエに伺った。

居間兼アトリエは17畳。板張りの床で傾斜のついた天井が高かった。「新潟にいられなくなったから東京に出て来た」と冗談まじり話したが、故郷への愛着は深い。

「いやー“めぐせ(みっともない)”。わたしの絵はお絵かき遊びだから個展でも早く絵を片付けたくて…」。ほかにも“おめさん(あなた)”かか(奥さん)“あんにゃ(お兄さん)”といった方言が次々、飛び出す。新潟からの取材だったからだろうか、方言を積極的に使ってくれたように感じたのは、橋本氏なりのサービス精神だったのだろう。

取材の2年前に新潟県美術博物館で橋本氏の個展が開かれた。実家の菩提寺(ぼだいじ)の加茂市上町、廣園寺とつきあいが深く、この3年前に同寺のステンドガラスを制作し、東京展に先立って開かれた京都展初日には、廣園寺がマイクロバスを仕立てて檀家を連れて見学に訪れ、橋本氏を感激させた。今回の近美での展覧会では、橋本氏が原画を描いた廣園寺の梵鐘の拓本が展示されている。

三条市の名誉市民で日展作家だった日本画か、岩田正巳(1893-1988)とも親交があった。戦中から戦後、岩田氏が故郷へ疎開してときのことを橋本氏は話した。

「先生がわたしのところへ来なさいというので行ったら先生が鎌倉時代の衣装を身につけてモデルになってくれました。東京のお宅へも何度か伺いましたが、すてきな家で上品で優しい人でした」と、きのうのことのように話してくれた。

橋本氏の妻、テイさんは「会場では豪華だねーとか色彩が豊かになったねーと言っていただきました」とわがことのように喜び「いい人に巡り会えたのがこの人の最高の幸せでした」と続けた。

取材で閉口したのは、酒を飲まされたことだ。酒豪だった橋本氏。取材中も飲んでいたと思う。酒を飲まなければ取材に応じないと言われたら、飲むしか選択肢はない。どちらかと言えば下戸なのに、酔って取材するのは過酷だ。昼間から日本酒で顔を赤くし、電車に乗って帰るのはなんともきまりが悪かった。

小柄だが、低く大きな声で話す。相手が“お”を付けてていねいに話すのを嫌い、“お”を付けるたびにたしなめ、作品ではなく“絵”、自身は“お絵かき”と強調する。酒をあおるのは無頼を気取ることで繊細さや照れを隠していたのかもしれない。

絵を描くときは頭の中は真っ白で、あとになるといつ描いたかも忘れてしまうと言った。油彩と違って修正が難しい日本画なのに、今回の展示作品のなかにも大胆に加筆した跡が残る作品がいくつもある。

「いつもいいのを描こうと思ってるけど、完成ってことはないからね。いつも困ったなーと思ってるよりしょうがないよなー」と話した。

時代を超えた個性がほとばしる橋本氏の作品に鮮烈な印象を受けたことをはっきり覚えている。当時はこれほど大量の作品をじっくり時間をかけて見ていない。今回の展覧会であらためて橋本氏の画業に圧倒された。それと比べて名前はあまり知られていないと感じる。精緻な画筆は図録などでは確かめることができない。ぜひ会場へ足を運んでほしい展覧会だ。

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