ことし2月に肺炎のため81歳で死去した株式会社ツインバード(野水重明社長・新潟県燕市)の前社長、野水重勝さんのお別れの会が19日、ジオ・ワールドビップ(三条市)で開かれた。主に取引先が対象のお別れ会には約300人が参列して献花し、父が起こした会社を株式上場まで急成長させた重勝さんとの最後の別れを惜しんだ。
野水重勝さんは、三条市で野水電化被膜工業所を創業した父、重太郎さんの後を継いで現在に至る同社の事業拡大に大きく貢献した。
お別れの会では鈴木力燕市長、滝沢亮三条市長、新潟経済同友会の前筆頭代表幹事の株式会社ハードオフコーポレーション・山本善政会長、東京大学の吉田邦夫名誉教授、取引先代表で株式会社エーダブリュ・ジャパン の宇野澄子社長がそれぞれお別れの言葉を述べ、野水重明社長がお礼の言葉を述べた。
野水社長は、重勝さんは7年前から大病を患い、手術後に退院して自宅で過ごした時期もあったが、2月26日に入院先で状態が急変し、家族に見守られて安らかな表情で静かに息を引き取ったと話した。
息を引き取る数週間前に病室で面会したときに「“お父さん、私が誰だかわかるかね”と尋ねたところ、名前こそ呼んでくれなかったが、“おめ、せがれらねっか”と返事があって少しうれしい思いをしたのもつかの間、それが最後の会話となった」。
重勝さんの歩みを振り返った。重勝さんは7人きょうだいの長男として生まれ、中学校卒業と同時に祖父が創業したメッキ会社、野水電化被膜工業所に入社。昼は家業を支え、夜は三条高校の定時制に通うなど、常に勤勉で、強い精神力で歩んだ人生だった。
20歳で専務に就き、30代のころには輸出事業を拡大。30カ国以上に出張して1年の3分の1を海外で過ごし、仕事一筋だった。41歳で社長に就くと、中東向けのトレー、冠婚葬祭向けのギフト商品から小型家電など開発製造で、業容を拡大。1996年には夢だった株式上場を果たした。
変革こそ成長のチャンスと前向きにとらえ、自分たちにしかできないものづくりを追求。なかでも力を入れたのがツインバード独自の冷却技術、スターリングクーラー事業だった。
重勝さんの英断で大きな開発投資を始め、この技術で必ず世の中の役に立つという強い信念のもと、業績が厳しいときも社員とともに決してあきらめることはなかった。その結果、国際宇宙ステーションの実験棟「きぼう」では、スターリング冷凍機を搭載した宇宙冷蔵庫が現在も活躍している。
今回の新型コロナウイルス用ワクチン運搬庫で国内では2500万人以上のワクチン接種に貢献し、インパクトのある社会貢献を実現した。
コロナ禍で入院中の重勝さんには面会できない状況が続き、直接、スターリングクーラーの活躍を伝えられなかったのは残念だが、「会社の未来をかけて開発した技術が日本や世界で役に立てていることを天国できっと心から喜んでいるとともに、新潟県、燕三条地域の協力企業の皆さまをはじめ、かかわってくれたすべての皆さまに心から感謝をしていることと思う」。
ツインバードは、時代の成長をとらえ、そのつど大きくビジネスモデルを転換しながら成長してきた。重勝さんが退任するとき、環境に合わせて会社を変える力を全員でもつこと、メーカーなら世の中の変化に合わせて常に新しい付加価値創造に挑戦していくべきだとメッセージを残した。
「私たちツインバードは、役員社員一同、先代社長の遺志をしっかりと引き継ぎ、これからも全国屈指のものづくりのまちである、この燕三条地域に根差し、品質第一のこだわりのものづくりでお客さまの豊かな生活のために、心に刺さることだけをぶれずに真っすぐ作り続けていく」と誓った。
その後、開いた一般対象の「お別れの会」には約150人が参列した。