2011年の東日本大震災で被災地支援をと立ち上がった一般社団法人 LOVE FOR NIPPON(キャンドル・ジュン代表、東京都渋谷区)は、3日、4日と新潟県三条市で開かれた「三条凧(いか)合戦」に昨年に続いて参加。4日の開会式には昨年いちばん最後に一部避難指示解除になった福島県双葉町の伊澤史朗町長も出席し、LOVE FOR NIPPON からプレゼントされた凧を青空高く揚げた。
LOVE FOR NIPPON は、東日本大震災が起きた3月11日の黙祷時間に福島の子どもたちの夢が描かれた六角巻凧を福島の空で揚げている。三条市も2004年の7.13水害で被災し、「おたがいさま」の思いでLOVE FOR NIPPONの311震災復興支援活動にさまざまな企業や個人が協力している。
そうした縁があって、三条凧協会とともに福島の子どもたちが夢を描いた六角巻凧を製作して6年目になった。さらに交流を深めようと昨年、LOVE FOR NIPPON が凧組「福ノ島会」を編成して三条凧合戦に初参戦。ことしは福島や東京のメンバーも加わって「福ノ島組」を新設して2チームで出場した。
この活動で子どもたちが描いた凧は20枚以上になった。三条凧協会と LOVE FOR NIPPON は福島の浜通りでもいつか凧合戦を開催したいと昨年、いちばん最後に避難指示が解除された福島県双葉町との交流を盛んにした。
ことしは双葉町の伝統行事「双葉町ダルマ市」が震災後、初めて町で開催できることを祈って、1月に双葉ダルマの絵柄の六角巻凧を製作し、双葉町に贈呈して三条凧合戦で揚げようと約束。その約束が実現した。
開会式でキャンドル・ジュンさんは、これまでの三条凧協会とともに歩んだ活動や伊澤町長が参加に至った経緯を話した。三重県や愛知県で大雨による被害が発生した矢先でもあり、「支援団体である自分たちとしては、この楽しい時間を過ごしていいんだろうかという複雑な思い」と胸の内を明かした。
本来、三条凧合戦に参加を予定しながら被災地へ向かったメンバーもいる。「とはいえこの時間、きょうの午後の合戦、目いっぱい頑張って、また8月末にぜひ双葉町でこの合戦を実現したいなという夢ももっている」と話し、揚げ師たちに協力、参加を呼びかけた。
伊澤町長は開会式のあいさつのあと、双葉ダルマの凧を揚げる前にもあいさつした。双葉町は唯一、全町避難が11年5カ月、昨年8月30日まで続いた。町の一部地域が避難指示解除になり、震災前の7,140人の住民が今ようやく70人が住むようになった。
7千人にまで戻るまでまだ時間がかかるが、「我々は、新潟の人たちと同じく、我慢強く、粘り強く、町の復興していきたい。三条凧合戦の皆さんに支援してもらっていること、双葉町のことを知ってほしい」と求めた。
「震災から11年5カ月、そこの町に人が住むことができなかったってどういうことなのか」、「同じ国民でありながら避難民になってしまうことのつらさ」と憤りも露わにした。
避難指示解除は町の面積の15%に過ぎず、85%はいまだに帰還困難区域のまま。「双葉町に来て双葉町の現状を見てほしい」、「あきらめることなく気持ちを持ち続けることで復興ができる」、「そういった町があることを覚えていただければありがたい」。
ことし8月に双葉町で凧合戦をしたいという話を受け、「何とか双葉でもそういうふうなイベントができるように我々も全力で取り組んでいきたい」とし、「きょうは福島の子どもたちが描いたこのタコを揚げることによって、福島の子どもたちがどういう思いでいるか、そういったことも皆さんに感じていただければ非常にありがたい」と述べた。
双葉ダルマの凧は揚げ師に揚げてもらってから伊澤町長は三条市の滝沢亮市長とともに糸を引いた。風が強く、体をもっていかれそうになるほど引っ張られ、「すごいですね、引きが」と目を丸くして驚いた。
双葉ダルマの左目だけ墨を入れてある。滝沢市長に「片目しか開いてないんですよ。ことし凧を頂いたときに片目だけ入れさせてもらって、避難指示解除になって戻ったので、次にもうひとつ目を入れるのはどのタイミングだろうと自分のなかで考えても考えられない。しばらく片目です」と話していた。
また、令和4年8月豪雨で被災した新潟県の関川村や村上市を支援する LOVE FOR NIPPON の活動に参加したロックバンド「Hi-STANDARD(ハイスタンダード)」のボーカルで新潟市出身の難波章浩さんも会場を訪れ、初めて見る三条凧合戦の迫力に圧倒されていた。