周辺の遺跡の評価を変えるかもしれない石港遺跡の存在感 (2023.7.1)

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燕市教育委員会は1日、昨年に続いて燕市渡部地内で行っている石港遺跡発掘調査の現地説明会を開いた。強い雨も予想されたため調査現場の見学は中止し、現場事務所で出土品の公開と開設だけ行ったが、94人が参加して古墳時代に思いをはせていた。

石港遺跡発掘調査現地説明会
石港遺跡発掘調査現地説明会

石港遺跡は、信濃川大河津分水路の右岸河川敷、渡部橋の上流側に位置する。1,500〜1,700年前の古墳時代前期から後期にかけての遺跡。加えて約100年前に行われた大河津分水路の開削工事で使用された犬釘やレールなどの線路部品も見つかり、古墳時代の集落と大正・明治時代の工事のようすがうかがえるユニークな遺跡でもある。

石港遺跡発掘調査現場
石港遺跡発掘調査現場

須恵器の土器「土師(はじ)器」と陶質土器「須恵器(すえ)器」をはじめ、装飾品の玉や管玉(くだたま)、勾玉(まがたま)、石のやじりの石鏃(せきぞく)、繊維を紡ぐための紡錘車(ぼうすいしゃ)などの出土品を公開した。

出土品
出土品

大きな住居、珍しい子持勾玉が複数出土、数多く出土した貴重な須恵器

まだ遺跡全体の一部しか調査していないが、規模が大きく、建物の種類が多かった村のようすがわかり始めている。建物は掘立柱住居と竪穴式住居があった。10メートル真四角の大きな竪穴式住居の跡も見つかり、建物の性格や村のなかでの役割はこれから調査、検討を進める必要がある。

昨年の調査で出土した子持勾玉(左)
昨年の調査で出土した子持勾玉(左)

ここよりさらに上流側にほほ同じ時代の古墳時代後期の五千石遺跡があるが、建物群に違いがわかり、少し違った文化や生活様式をもっているのではないかと考え始めた。ほかにも違いがしだいに明らかになり、石港遺跡の重要性が高まってきている。

昨年、珍しい子持勾玉(こもちまがたま)が出土したが、発掘現場のすぐ近くの「夕暮れの岡」で以前、分水路小路のときにも子持勾玉が見つかっており、ひとつの遺跡から複数の子持勾玉が見つかるのは珍しい。

須恵器の出土品
須恵器の出土品

須恵器が多く出土しているが、須恵器はしっかりした窯で焼きしめる必要がある。朝鮮半島から九州、関西と伝わったが、古墳時代には越後には須恵器を作る窯は存在せず、よそから持ち込まれた須恵器ということになる。当時は高級品であり、遺跡の規模の大きさも含めて財力のある有力者が暮らしていた可能性が高く、地域の中心的な遺跡と言える。

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土師器では珍しい「はそう」

前方後方墳と推定されている竹が花遺跡も近くにあり、それぞれの遺跡との関係性を合わせて考えれば、周辺の遺跡の評価も変わってくる可能性のある重要な遺跡とわかった。

また、土師器でできた胴に注ぎ口となる竹管などを挿したと思われる穴のある壺形の焼き物、「はそう」が出土したが、多くは須恵器で作られており、土師器では珍しいと言う。


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