シンガー・ソングライターの谷村新司さんが死去したことが16日、わかった。74歳だった。新潟県の「県央地域の谷村新司」と言えば、「西川バンド」のリーダーでボーカルの西川哲司さん(72)=三条市笹岡・(株)向陽モータース社長=。「闘病は聞いていたけど、もうショックで言葉が見つからない」と声を詰まらせ、いつか谷村新司さんと同じステージに立ちたいという大きな夢も永遠にかなわなくなった。
三条しただ郷クリニックで7回目の新型ウイルスワクチン接種を受け、経過観察で待機していた。東京の歌手仲間とメールでやりとしていると、受診したメールに「ご冥福をお祈りします」とあった。
何のことかわからず返信して意味を確かめ、谷村新司さんの死去を知った。まもなく奥さんからも電話で死去の知らせが。それからも返信が追いつかないほど次々とショートメールやLINEが届いた。
「みんな同情するような感じで、まるで身内が亡くなったかのような書き方だった」。西川さんが谷村新司さんを愛していることは、それほど多くの人が知るところだ。
谷村新司さんは1971年に堀内孝雄さんとアリスを結成し、翌72年に矢沢透さんが加わった。西川さんはアリスの音楽は耳にしていたが、アルバムを買おうともバンドでやろうとも思わなかった。
ソロになってからの谷村新司さんの曲との出会いにカルチャーショックを受けた。「『群青』という曲なんかね、もうどうしようもないぐらい、聴いた時の衝撃といったら言葉にならない」。「『昴(すばる)』はすごいし、『いい日旅立ち』はすごいし、『陽はまた昇る』は泣かせるし」とその感動は言葉でうまく表現できない。
聴いているだけで満足できなくなった。「こんないい歌があるんだと思った。歌う気にさせるっていうか。それで1回でいいから大勢の前でホールでバンドでやらせてくれって仲間を説得してバンドをつくった」。
西川バンドを結成し、1985年に三条市中央公民館で初めてコンサートを開いた。約250人が来場する大成功を収めた。
これっきりで最初で最後のつもりだったが、「メンバーからまたやるならやってもいいよ」と言われた。以来、毎年欠かさずコンサートを開催。アリスを含めてこれまで谷村新司さんの曲を20曲以上、西川バンドで歌った。ことしも12月3日午後4時から三条市体育文化会館で実に38回目となるコンサートを開く。
谷村新司さんのコンサートで何十回も谷村新司さんと握手しているが、会話したことはない。周囲から30周年のコンサートに谷村新司さんを呼んだらと勧められ、いつしか西川バンドのコンサートに谷村新司さんを呼ぶのが西川さんの夢になった。
なんとか接点をつくろうと、谷村新司さんに新米を送り続けたこともある。「だめならだめでいいじゃないかと言われて。谷村さんの事務所まで行って、良くここがわかったなと言われた」と笑う。
「コネも相当探した。まともにいってもだめだと思って。結構、いい情報に近いのもあったんだけど」と、今でも実現できなかったことが悔やまれるが、谷村新司さんが亡くなった今となっては、実現しようがない。
西川さんにとって谷村新司さんは「俺の音楽人生を変えた男」。「支えだった。谷村新司さんの歌を歌うと、いかにも自分の歌にしているように聞こえると言われた」。今はとても先のことを考えられる心境ではないが、12月のコンサートは「谷村さんへの追悼の思いを込めてお届けしたい」と誓った。
また、11月13日に三条市で開かれる新潟セントラルフィルハーモニー管弦楽団演奏会で西川さんはオーケストラの演奏で歌う大舞台を控えている。そこで歌う3曲のうち2曲が谷村新司さんの『いい日旅立ち』と『昴』。「これもまさか追悼の意味を込めて歌うことになるとは思わなかった。万感胸に迫るよう」と西川さんは運命的なものを感じている。