新潟県燕市の吉田地区老人クラブ連合会(堀裕恒会長)は、還暦の60歳で生まれ変わってから20年の成人を祝う「熟年成人式」をことしも「成人の日」の8日、シニアセンターよしだ行い、傘寿(さんじゅ)でもある80歳を迎えた会員の長寿を祝った。
成人式がなかった時代に生まれた人たちから還暦で年齢をいったんゼロにして新たに20年のはたちを迎えた人にあらためて成人式で今度は長寿を祝おうと毎年、「成人の日」に開いている全国的にも珍しい事業。ことしで29回目になった。
新型コロナウイルスの感染拡大で2021年、22年と祝宴やアトラクションを中止して式典と記念写真撮影だけ行い、23年はアトラクションを復活させて引き続き祝宴は中止した。今回は祝宴も復活させて4年ぶりにフルスペックで行った。
ことしの対象者は昭和18年(1943)から4月2日から19年(1944)4月1日まで生まれた吉田地区老人クラブ連合会の会員。会員が減少を続けていることもあり、ことしの対象者は男28、女22の50人で、うち男12、女11の23人が出席。過去最少で、珍しく女性より男性の方が多かった。
熟年成人者代表として下粟生津の寿クラブ会長、河合利勝さん(80)が謝辞を述べた。河合さんは「命にかかわる出来事が4回ありました」と、2歳のときの東京大空襲、15歳のときの第2室戸台風、72歳のときの交通事故、77歳のときの脳梗塞(こうそく)について話した。
両親は軍需工場で働くために上京し、河合さんは東京で生まれ、戦後、ふるさとへ移り住んだ。東京大空襲では防空壕(ごう)に入って猛火を逃れた。
「あのとき空襲に遭っていればお前の命はなかったんだよ。だから長生きせーよと。そう言って何回も何回も言われました。その言葉を思い出すと涙が出て…」と声を詰まらせ、「今も世界中のあちこちで戦争、また紛争が起きており、連日、テレビで悲惨な映像や一般人の犠牲者が出続けるという悲しいニュースを耳にすると本当に心が痛みます」。
第2室戸台風では「先生が機転を効かせて、全生徒を教務室に避難させました。と同時に防火壁の半分が崩れ落ちました。もう少し避難が遅ければ、生徒は全員、下敷きになっていたでしょう」。さらに「家に着いてびっくりいたしました。家の屋根が吹き飛んでありませんでした」。
交通事故は運転中に一時不停止の車に突っ込まれて田植え後の水の張った田んぼに車ごと転落した。「あのとき、車が裏返しになっていたら、もう私はこの世にはいなかったと思います」。
脳梗塞では救急車で病院に搬送されて「早期発見で2カ月間、入院し、その一月後に心臓の病院で心臓の病気が見つかり、大学病院でカテーテル手術をして今現在に至っております」。その時々で一命を取りとめ、今の命が当たり前ではないことに感謝した。
「現在も工務店を続けながら吉田地区老人クラブ連合会の寿会会長として、会議をまとめ、吉老連行事に参加させていただいています。これからも健康に留意し、地域や吉老連の一員としてお役に立てればと願っております」と述べた。