4日行われた済生会新潟県央基幹病院(新潟県三条市上須頃)の竣工記念式典で国定勇人衆院議員と鈴木力市長は、県央基幹病院開院を「悲願」と表現し、祝辞で思いを語った。
県央基幹病院の建設に地元で最も貢献し力を尽くした2人。元三条市長の国定氏は、2006年に市長選に初当選してから3年後の09年に「県央地域の救急医療の在り方に関する検討会」がスタートした。
その翌年には鈴木市長が市長選に当選。救急患者の県央圏域内搬送の向上を目指して1日も早い開院を目指した。
国定氏は県央基幹病院建設の道筋がついたのを見届けて20年に退任。竣工式では込み上げる感情を抑えながら「思いが強すぎてこれ以上の言葉が告げない」。また、ケンオー・ドットコムのインタビューに国定氏は、昨年、他界した父が看取られた東京医科大学病院のICUに匹敵するような設備に「充実していてびっくりした」と話した。
鈴木市長は「すいません。思いが強くて長くなりました」と約7分に及んだ祝辞をわび、途中で目を潤ませる場面もあった。それぞれの祝辞の概要は次の通り。
私も平成18年11月に三条市長に当選させていただいて以来、この救命救急センターの機能付きの基幹病院の竣工を目指して、私なりに努力をしてきたつもりだ。そのいくつかは墓場までもっていかないといけない事柄もあるが、そうしたさまざまな難局を乗り越え、きょうこうして皆さまがたとともに、この県央基幹病院の竣工を迎えるこの感慨深さ、この思いの深さを皆さまがたの前で言葉にするには、とてもとても思いが強すぎてこれ以上の言葉が告げない。
ここにあらためて花角知事をはじめ開院に向けて尽力、努力いただいたすべての皆さまがたに私の立場からも心から感謝、お礼を申し上げたい。
この長年の悲願だった県央地域の最後の医療の砦(とりで)としての県央基幹病院が、私たち県央地域に住まうすべての皆さまがたの命を救う、その砦としてこれから以降、未来永劫、輝き続けていくことを皆さまがたとともにお祈りを申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきたい。
救急車を呼んでも、なかなか搬送先が決まらない、1時間近くかかって結局、新潟や長岡の病院に搬送された。このままでは助かる命も助からない。何とかしなければならない。
こうした共通認識のもと、もう話は20年以上前からあったが、救急救命センターを併設した病院の在り方検討会議が平成21年に立ち上がり、14年の歳月をへて待望の、悲願のこの日がやってきた。14年間、関わってきた人間として本当にうれしく思っている。
この間、病床数や立地場所をめぐって、堂々巡りを繰り返した時期があった。ようやく県のリーダーシップのもと、ひとつの計画がまとまったと思ったのもつかの間、県の財政状況の悪化を背景に、必要性そのものを見直そうと、そういう議論がなされたときもあった。
さらに、国の方針というか、県立病院の在り方、再編ということで、その計画そのものを再検証するという事態にもなった。
こうした幾多の紆余曲折を経ながら本日、この日を迎えることができたのは本当に救急医療体制を強化してほしいという住民の強い声に何とか応えようという関係者が、本当に粘り強く取り組んできたその結果、努力のたまものと思う。
すべての、すべての関係者の皆さんに心から感謝申し上げたい。さらに令和3年の4月に着工して以来、建物はできても、本当に実際の望むべき病院としての機能が果たせるんだろうか。失礼だが魚沼基幹病院の例もあるんじゃないかと、大丈夫なんだろうかと、そんなふうに心配される声もあったが、本当にこれは花角知事を先頭に多くの関係者の皆さまが医師をはじめとする医療スタッフの確保に奔走され、少しでもこの救急医療の脆弱(ぜいじゃく)さを解消しようと、プレER救急にも取り組んでいただき、この日がある。
この点にでも本当に御礼を申し上げたい。この基幹病院が開院し、断らない救急が実践されることによって、本当にこの課題は解消されると思うし、さらに高度専門医療も提供され、地域の医療体制は着実に充実していくと期待している。
加えて言えば近年、分娩する施設がない、この周産期医療も基幹病院に担ってもらいたいと地元の市町村で県に要望したが、これも4月以降になるが担ってくれるということで、少子高齢化、子育て支援をしなければならないのは、この地域の大きな課題で、分娩するところがないということを解決できるという点でも本当に関係者の皆さんご配慮に感謝申し上げたい。
先ほど来、いろんな方々が言ったように、これがゴールではない、スタートだと思っている。この県央基幹病院を核に周辺の病院との役割分担のなかで連携、さらに診療所、クリニックの先生とも連携し、その先にはさらに介護施設との連携も図っていく必要があると思う。’
引き続き県、医療関係者、われわれ地元自治体が連携を図っていかなければならいという思いを強くしている。要望をするだけではだめだと、地元の自治体として積極的に協力していかなければならないと思っている。
すでに始まっているが、看護師の確保のためのいろんな制度と、今般は地域枠という医師の確保のための協定も県と地元で結ばせていただいた。とにかくやれることは何でもやっていきたいと思っている。
さらにやっぱり住民の意識も全体としてこの医療の体制が提供されていくことを理解していただかなければなと。滞りなく必要な診療が提供される、そのためには、かかりつけ医の先生との連携が重要になってくる。
われわれとしても住民に理解していただくように周知、普及に取り組んでいきたい。思いが強くて長くなった。これまでの尽力してくださったすべての方々に感謝申し上げるとともに、この県央基幹病院がこの地域の中核として、すべての住民の皆さんに信頼され、末永く愛される病院として存続していく、その機能を最大限発揮してくれることをお願い申し上げる。