東日本大震災からちょうど13年になった11日、今も福島県南相馬市などから避難した54人が暮らす新潟県三条市は、地震発生時刻の午後2時46分から三条市総合福祉センターで黙とうと献花を今も54人を帰の被災者被災地からの避難者を受け入れている新潟県三条市は犠牲者を追悼する三条市総合福祉センターで黙とうと献花を行った。
避難者や滝沢亮市長、市民ら50人余りが参列した。ロビーに献花台を設置し、同時刻に南相馬市で行われた東日本大震災追悼式のライブ配信の影像も流しながら1分間の黙とうをささげ、白菊を手向けて犠牲者の冥福を祈った。
三条市は東日本大震災から5日後の16日から福島県南相馬市からの避難者を中心に会場の総合福祉センターをはじめ市内のサンファーム三条、体育文化センター、ソレイユ三条に避難所を開設し、最大815人の避難者を受け入れた。
3月1日現在の避難者の避難元の自治体は、南相馬市の小高区33人と原町区3人、浪江町10人、郡山市7人、双葉町1人の内訳。また、44人が公営住宅や民間賃貸住宅を借りて住み、10人は持ち家を購入している。
ことしも避難者代表は、南相馬市原町区出身の会社員佐藤聖之さん(32)。元力士で三条市役所に勤務して三条マルシェの運営などで活躍し、「ちゃんこ佐藤」の愛称で地元で親しまれている。避難後に結婚し、今は小学校1年生の娘と3人で三条市内のアパートに暮らしている。
母と祖父母は南相馬市に戻っており、盆と正月は実家に帰省する。母からは会うたびにいつ帰るのかと聞かれる。祖父母の世話の必要にも迫られつつあるが、ふるさとには働く場所が限られる。三条市で生まれ育った娘が、これまでの友だちとの関係を断って南相馬市で生活するには不安がある。「南相馬では生活が成り立たない。子どもと働く場所を考えると難しい」と複雑な心境を話した。