新潟県弥彦村が運営する弥彦競輪場は、日本初の400m走路を備えた「彌彦神社競技場」の跡地に建設された。弥彦村は新たな観光資源の再発見をと、今も弥彦競輪場の一角に建つ彌彦神社競技場碑に注目し、誰でも立ち寄れるスポットにリニューアルする。
明治末年の弥彦大火後の神社再建を記念して、当時の高松四郎宮司が新潟県民の体育向上とスポーツ精神高揚を図ろうと弥彦神社境内に「彌彦神社競技場」を建設した。1919年(大正5)5月に完成し、6月1日に開場した。
日本初の400m走路のグラウンドは、県下青年団などの体育大会はもちろんさまざまな競技大会に利用され、 全国、中央の選手の合宿などが盛んに行われ、近代日本のスポーツ史上に輝かしい功績を残した。
戦後復興のため、トラックをバンクに変えて1950年(昭和25)に競輪場として生まれ変わった。運営は株式会社やひこドリームから寄付を受けて2005年(平成17)から弥彦村所有となり、全国唯一の村営公営競技場でもある。
弥彦競輪場の南東角地には、開場から3年後の1922年(大正8)に建てられた台座を含めて高さ3メートル近い彌彦神社競技場碑が今も残る。表に刻まれた「彌彦神社競技場」の碑文は、「柔道の父」、「日本の体育の父」と称されて明治から昭和にかけて日本のスポーツの礎を築いた柔道家、嘉納治五郎(かのうじごろう)(1890-1938)が揮毫(きごう)した。
裏には、当時の高松四郎弥彦神社宮司が書いた彌彦神社競技場碑の建設の経緯を表す。競技場の建設にあたり、宝田石油株式会社(本社・長岡市)が当時の金で9千円(現在では3千5百万円)の巨額を奉納したことも漢文体楷書で刻んである。総事業費は1万5千円かかったという。
弥彦競輪場は敷地の境界にフェンスが設置してある。彌彦神社競技場碑を見るには、北東側にある弥彦競輪場入り口から入場する必要があり、地元の人にもその存在はあまり知られていない。気軽に立ち寄れるようにと、道路側からの入り口設置工事を行うことにした。
彌彦神社競技場碑の近くのフェンス幅2.5メートルと生け垣を合わせて撤去。彌彦神社競技場碑へ向かう使う通路の階段と玉砂利敷を整備し、競輪場側には出入りできないように新たにアルミフェンスと生け垣を設置する。
3月末までに工事を終わり、4月上旬にお披露目の予定。事業費は550万円で今年度予算で整備する。13日は弥彦神社拝殿で本間芳之村長や関係者で祈とう、工事現場で清はらえを行って工事の安全を願った。
本間村長は「元々、弥彦にある観光資源や記念碑など日が当たらなかったものを再発見して弥彦の魅力を伝えていこうとこの事業に取り組むことにした」と話し、「ここが日本で最初の公認の陸上競技場であったことをあらためて再発見し、記念碑とともに当時の写真も観光客に見て再認識してもらい、競輪場の開設73年にも思いをめぐらして歴史の重みを感じてもらえるようにしたい」と期待した。