「春分の日」の20日、燕三条地場産業振興センターで令和5年度三条市二十歳を祝う会が開かれた。対象者927人のうち68.3%の633人が出席。雨まじりの強い風が吹く荒れ模様だったが、三条市出身の二十歳を祝った。
第1部式典、第2部アトラクション、第3部記念撮影が行われた。式典は国歌斉唱、市民憲章唱和のあと滝沢亮市長は式辞。滝沢市長は「皆さんこんにちは」と始めたが、二十歳からの返事の声が小さく、「さっきまでの元気の割にはちょっと元気がないんじゃないでしょうか?」ともう一度、「皆さんこんにちは」とあいさつして会場を和ませた。
先に新潟空港と北海道の札幌丘珠空港間でトキエアが就航から、三条市と北海道のつながりを話した。江戸時代後半から明治時代にかけて多くの三条市出身者が北海道に渡り、今も続く企業の礎を築いた。水産加工会社のマルハニチロの前身、日魯漁業の創業者の堤精六は三条市出身で、北海道の丸井今井百貨店の創業者、今井藤七も三条市出身。
函館にある五稜郭を設計した松川弁之助は三条市井栗の出身で、室蘭で大きな商船会社を築き、登別温泉を一大観光拠点にした栗林五朔は三条市大崎の出身。先人を例に「皆さんがどこで働き、どこで学ぼうとも、ふるさとが三条で良よかったなというふうに思い出せるような1日になったらいい」と求めた。
三条市議会の阿部銀次郎議長は、勝負の世界で有名な格言として「勝とうと思うな。負けてたまるか」という言葉をはなむけに贈った。長い人生は学業や仕事、日常生活でさまざまな困難や挑戦といった勝負をかける場面の連続であり、「勝つんだというひとりよがりな思いは見識を狭めることにつながり、一度の失敗に心が折れてしまう。そんなときこそ負けてたまるかとこらえて踏みとどまり、正面から立ち向かう気持ちを大切してほしい」と求めた。
二十歳を代表して信州大学法学部1年の内田善登さん(20)と新潟こども医療専門学校こども未来学科2年の塚田百香さん(20)が二十歳の言葉を述べた。
「この20年の間で経験できたことは、この先、必ず自分の力になる。これからの人生、何が起こるかわからない。ひとつ言えることは私たちは何でもできる」。自分の可能性を信じ、願って努力すれば願いをかなえることができる。「誰かの期待に応えるのではなく、自分の生きたいように、なりたい自分を見つけるために生きていきたい」と誓った。
アトラクションでは、地元企業スノーピークのマグや無印良品の食品セット、スターバックスのカードなどが50人に当たる抽選会。記念撮影は出身中学校別に行った。