起源から数えるとことしで100年になった新潟県燕市分水地区で桜の開花にあわせて毎年行われている分水おいらん道中が7日、行われた。絶好の好天に恵まれて5年ぶりの屋外開催実現。青空の下で1万6000人が豪華絢爛(けんらん)な時代絵巻を楽しんだ。
分水おいらん道中は1924年(大正13)ごろ地元の有志が花見客向けに仮装行列を行ったのが起源とされる。1922年(大正11)に通水した大河津分水の土手に植えられたサクラと景勝を全国的に宣伝しようと、1936年(昭和11)ごろからにぎやかに行われるようになった。
正午から地蔵堂本町通り、午後2時から大河津分水桜並木の2カ所を練り歩き、公募で選ばれた信濃太夫、桜太夫、分水太夫の3人のおいらん役をはじめ約80人で行列を編成し、三味線と太鼓のはやしが響くなかを進んだ。
途中で行列を止め、おいらん独特の高げたをゆっくりと大きく外側に振り出して歩を進める外八文字と呼ばれる足運びを披露した。そのみやびな所作に見物客からかけ声が上がり、拍手でわいた。
コロナ禍で休んだり、荒天で屋内に会場を移したりで、屋外での開催は5年ぶり。市街地では桜の開花が進んだが、強い川風が当たる大河分水桜並木は開花が遅く、花はごくわずか。それでも青空の下でこその格別なおいらん道中だった。
とはいえこの日は三条市で最高気温23.5度の初夏を思わせる暑さ。リタイヤするおいらん役も出たが、両会場とも出発は3人がそろい踏みして大役を務めあげた。
コロナ禍前と比べると、地蔵堂本町通りは相変わらずのにぎわいだったが、大河分水桜並木は好天にもかかわらず少なかった。大河津分水さくら公園から土手に上がる通路が出発地点の信濃川大河津資料館から約500メートル下流側にあり、その周辺の見物客が集中した。
コロナ禍前は早く見て帰ろうと思う人が多く、見物客が集中した出発地点付近が目を疑うほど閑散としていた。資料館を出てすぐの公園は乾杯する花見客ですき間なくビニールシートが広げられたものなのに、ことしは花見客がゼロ。全体でも飲酒や花見はほとんどなく、コロナ禍をへて隔世の感があった。
一方で同時開催イベントは年々、盛り上がっている。2会場で開かれたツバメルシェは大にぎわい。染井吉野太夫役として燕市PR大使のBSNアナウ ンサー大塩綾子さんがほうかん役の同僚アナウンサー三石佳那さんとともに記念撮影に応え、外八文字も披露した。
さらに燕市PR大使の新潟県住みます芸人、いっすねー!山脇さんも来場し、大塩さんとからんでYouTubeで公開する動画も撮影していた。ほかにもステージイベントなどが盛りだくさんで、相対的に肝心のおいらん道中の影が薄くなる印象もあったが、全体としては大いに盛り上がった。