新潟県燕市でキッチン雑貨やカトラリーを手がける株式会社青芳(青柳修次代表取締役社長・燕市小池)の創業者で代表取締役会長だった青柳芳郎さんが4日夜、死去した。98歳だった。
青柳さんは1925年(大正14)に燕市(旧燕町)穀町の洋食器を製造する家に生まれた。「外川」姓だったが、小学校4年で近所の家に養子に入って「青柳」に。1942年(昭和17)に県立三条商工学校機械科を卒業した。
第二次大戦で出征し、戦後は4年間のシベリア抑留から引き揚げると生家の家業を手伝った後、妻政子さんと洋食器製造の「あおよし製作所」を開業。その後、会社は殿島、工業団地と移転した。
長女がポリオ(小児まひ)で障がいが残ったが、それが国内ではおそらく初めての障がい者用の洋食器の開発につながった。
日本金属洋食器工業組合の理事長を10年務めたほか、燕市社会福祉協議会会長も長く務め、多い時は7つも肩書きがあったと言う。黄綬褒章、勲四等瑞宝章を受章している。
5月27日朝、自宅で倒れて頭から出血。救急搬送され、肺炎にかかっていることがわかり4日午夜、入院先で死去した。6月10日午後7時から通夜、11日午前9時15分から葬儀、同11時に出棺。会場はいずもれVIPシティホール燕(燕市東太田2859-1)。葬儀委員長は桜井甚一元県議、喪主は長男の青柳修次さん(62)。