新潟県内の若手神職でつくる新潟県神道青年協議会(廣井紀余人会長)は11日、三条市・八幡宮(藤崎重康宮司)で初めての自然災害鎮静祈願祭を行った。ことしは1964年(昭和39)の新潟地震から60年、2004年(平成16)の新潟・福島豪雨(7.13水害)、新潟中越地震から20年の節目で、ことし1月1日には能登半島地震が発生。過去に自然災害と歩みをともにした八幡宮から、国の静穏をすべての神々に祈願した。
小千谷市・石動神社の禰宜(ねぎ)の廣井会長を斎主に白装束をまとった協議会の6人の神職で神事を行った。神殿に供物を供え、途中、三条神楽保存会の伶人が神楽「奉幣の舞」を奉納して厳かに執り行った。
新潟県神道青年協議会は会場を変えて県内各地で交通安全祈願祭を行うなど活動している。自然災害鎮静祈願祭は今回が初めて。ことしは大きな節目の年に加え、能登半島地震が発生したことから神職ができることをと自然災害鎮静祈願祭を行った。
八幡宮は新潟県の中央に位置し、7.13水害では三条市で9人が犠牲になり、被災として歩みをともにしていることから会場にした。参加できなかった若手神職もそれぞれの神社でこの日、いっせいに自然災害鎮静祈願祭を行った。
神事のあと廣井会長は「全国各地で大きな自然災害が多発しているこの時代に一青年神職として何ができるか考えたとき、我々は若手青年神職がこのように神明奉仕できていることの感謝の報告と被災地の復興、これより大きな自然災害が起こらぬよう祈りをささげること」で、「大きな自然災害が起こらないこと、被災地の1日も早い復興を祈る」と願った。
新潟県神社庁の佐藤明史副庁長は、地震の体験から過去の自然災害を振り返った。6歳のとのき、まもなくえんま市が開かれる地元柏崎市で新潟地震を体験した。
7.13水害は神道政治連盟青年会の役員会に出席するため三条市の新潟県神社庁へ向かっている最中に五十嵐川の堤防が決壊した。阪神・淡路大震災では発災から1カ月後に被災地に入り、屋根をはがして神饌を引っ張り出した。
中越沖地震では、多くの新潟県神道青年協議会の会員から助けてもらい、その後、不審火があったときは能登から6時間もかけて駆けつけた若手の友達がいた。火事のあとは社と同じような形でテントを張ってそのなかで祇園祭を行った。
やっと社殿が竣工してほほえみが戻ったころに東日本大震災が発生。そしてまさか1月1日とは誰も思わなかったかことしの能登半島地震。八幡宮の被害のようすも報道された。
そのときも全国の仲間から電話がかかってきた。仕事ができる、お宮があるだけいいと思わなければならないと励まされた。今も能登では大変な思いをしている人がいる。
5月30日に東京で開かれた自然災害と感染症から日本を守る1万人集会に参加した。そのなかでアルピニストの野口健さんが、能登の被災地に寝袋を届けるなか、2カ月、3カ月たっても寝袋や水が届かないところもたくさんあると、言葉を詰まらせながら現地の様子を伝えた。
神職にできることは、祈りを捧げ、神社は安心と安全を与える所。「そんな気持ちをもとに、これからも神明奉仕に私をはじめ全国の神職、若手神職も努めていかなければいけない」。
さらに、「私どもが一丸となって何ができるか、もしものときにどうやって備えたらいいのか、いろんなことを考える必要がある」。「マスコミの力を借りたり、若手の力を借りたり、いろんな力を借りるなか、お金がある人はお金を出していただいて、力がある若手は力を出していただいて、何もなかったら元気を出して、これから頑張っていっていただければ幸い」と述べた。
新潟県神社庁南蒲原支部長の土生田神社(田上町)の高橋勝之宮司は、能登半島地震の被災者に向けて「今なお自由な生活がままならない被災者に心よりお見舞いを申し上げる。この自然災害の節目の年にこの祈願祭が行われる意義、そして気持ち、心が被災者のもとに祈りが届き、少しでも1日も早い復旧復興ができて安寧(あんねい)な日々が取り戻せたらと思う」。
八幡宮の藤崎重康宮司は、2004年の7.13水害の記憶を話した。平成16年5月の春季大祭が終わって老朽化した拝殿の解体工事に入った。ほとんどの建物を解体して1年後の春祭りまでに建て直すという工期の短い難しい計画を立てた。
工事は順調に進んだが7月12日、雨が降る夕方、設計事務所が基礎を打ち終わったので1週間ぐらい休むと言われた。すでにすごい雨が降っていたが、コンクリートは乾燥するより雨がいいとも言われた。
その次の日に五十嵐川の堤防が決壊して八幡宮の対岸の嵐南側が水害に見舞われた。そのため1カ月ほど復興に職人を取られて工事が中断した。幸い工事再開後は順調に進み、10月16日に境内を埋め尽くす人たちに見守られて盛大な上棟祭を行うことができた。
今度は上棟式から1週間後の10月23日、中越地震が発生した。10人ほどの職人が建物の上にいたが、振り落とされないで必死につかまっていた。まだ屋根がなかったこともあり、事なきを得て、平成17年の5月7日に竣工。「そういった意味で、八幡様の御加護があったのかなとおもっている。そんなことを思い出しながらきょう参列させていただきました」と感慨深く話した。