やっぱり小林市政から鈴木市政に変わる潮目で非常に庁舎内の空気も変わり、市民の雰囲気も変わり、10年前にこの庁舎ができ、あらためて思い返していた。今さらだが、田辺秀男さん、藤野君とか3人で庁舎担当をやった。
正直言って疲れ果てていた。この先どうなるかというなかで、新たな市長の考えもあるから、われわれは庁舎建設の担当から降りるべきじゃないかと市長に半分、降ろしてほしいお願いに田辺英雄さんと2人で市長室にお願いに伺ったのを覚えている。
市長からはだめだと引き続きやれという話だった。我々に期待をしているのか、あるいは別の考えがあったのか、そのときはわからなかったが、空気が変わり、何とか前に進めることができた。
あれから議会の空気もがらりと変わり、本当にありがたかった。そのときの合言葉は「燕はひとつ」の一言だった。その言葉ひとつで、この庁舎ができたようなものだったと今でも思っている。
そのときは私はまだ部長でしかなかった。合併前は市長の秘書をしていたこともあり、助役の客はたくさん来るが、市長への客を把握していると助役の客が把握しきれないことがあったので、設計のときに副市長室はガラス張りにしよう、外から見えるようにしよう、誰が入って話をしていてもそんな怪しげなことはあっちゃならんとガラス張りにしろとある意味、むちゃぶりをしたが、まさかそこに自分が入るとは露知らず。恐ろしいことになってしまったと思った。
来る人、来る人、みんなガラス張りなんだねと言われたが、職員と一緒に仕事をして、ちょっとついたてが立ってる程度に思うと、どれほどのことでもない。今、それをやって良かったと思ってる。
それからいろいろあると思うが、一部はきょうの三條新聞を読むと少しわかると思う。あんまりあれこれ申し上げない。ただひとつだけ言わせてほしい。きのうからこの席で何を言うべきなのか、何を言ってもちょっと通じないかなという思いもあった。
ユーモアをもってとか、笑わせてとか、話をしてる途中、飲み食いの最中だからはしを止めろとかいろいろ言われてきたが、そう簡単にはいかない。ちょっと変わった話をさせてほしい。
実は十河主幹が燕市に来てすぐ、よその市で自衛隊の体験入隊をしているところがあるという報道を見て、十河さんに自衛隊は体験入隊させてくれるのかと聞いたら、できると言われ、どうすればいいのと聞くと、体験入隊ぐらいなら私は教官だったので、私がやるという話で、その年、採用された職員に十河さんやろうよと。災害のときに、いざというときに若い人たちに力になってもらいたい、先頭に立ってもらいたいという思いもあり、十河さんがいろいろ考えてやってくれた。
私は私で、同期で仲間をつくると、この先、いろんな仕事のうえで困ったときに相談相手にお互いになってもらえるし、支えになってくれるし、知恵も貸してくれるしということもあり、同期で仲良くなれるチャンスをつくってほしいと十河さんにお願いした。それからずっと新採用の職員が6カ月ぐらいたつと、真夏の暑い盛りにリヤカーを引っ張るという荒業をやることになった。
そのなかでひとこま、私も話をさせてもらっている。必ずやる話が2つある。ひとつは長いのでやめるが、ひとつは3人のレンガ職人の話をずっとしている。旅人が歩いているとレンガ職人がいて、1人目は親方が言うからレンガを積んでる、炎天下の最中にという話をする。2人目はいやこれが自分の仕事でこれで家族を養ってるという話をする。3人目のレンガ職人はおれは町の教会を作ってるんだと胸を張って堂々と答えるという話だ。
同じ仕事をしても、3人目のレンガ職人のように、おれは燕市を作ってるんだよ、燕市の公共の福祉の実現に携わってるんだよという思いで仕事にあたってもらいたいという思いがあり、そんな話をさせてもらってきた。
8年、9年ぐらいになるが、若手の職員がその思いをどれだけくみ取ってくれたかわからないが、ぜひ幹部の皆さんも自分たちは燕市民のために将来の燕市をつくっているんだという思いで仕事にあたっていただけると、これからは一市民として外から頑張ってるなと思いながら、応援をしながら今後の市政を市民として見守りたい。
きょうは本当に私のために、わざわざこんな集まっていただき、本当に恐縮。しなくてもいい話をしなきゃならなくなって大変申し訳なかったと思うが、今まで本当に市長をはじめ、教育長、幹部職員の皆さん、お力添えをいただき大変どうもありがとうございました。もう感謝してみようがないくらい心から感謝している。大変どうもありがとうございました。