新潟県燕市は3日(日・祝)、大河津分水路改修事業に伴って2022年度から行っている石港遺跡の発掘調査の現地説明会を開く。今年度の調査では県内初となる木製の頭椎大刀(かぶつちのたち)の把頭(つかがしら)の出土をはじめ貴重な発見が相次ぎ、越後平野で初めて確認された古墳時代前期の地域のリーダー役となる有力者の屋敷地「首長居館(しゅちょうきょかん)」の遺跡であることが確実になり、注目が高まっている。
現地説明会は3日の正午から午後1時までを除く午前10時から午後3時まで行う。受け付けは午前9時半から11時までと、午後0時40分から2時半まで。燕市渡部地内にある石港遺跡発掘調査現場の現場事務所に集合したあと、マイクロバスで順に発掘調査現場へ案内する。
発掘調査中の遺跡や出土品を公開し、雨なら出土品などの公開だけ行う。毎年、現地説明会を開いている。昨年は2日間で約200人が参加した。
小雨決行。駐車場は限りがあり、なるべく乗り合わせて来場する。河川の水位上昇や気象状況で中止することがある。問い合わせは2日までは燕市社会教育課文化振興係(0256-63-7002・中央公民館内)、当日3日は石港遺跡発掘調査現場事業所(0256-77-5231)へ。
石港遺跡は燕市分水地区の渡部地内、信濃川大河津分水路右岸に位置する古墳時代前期から後期(1,700〜1,500年前)の遺跡。河川敷に南北約230メートル、東西約350メートルにわたって遺跡が広がる。
大河津分水路の改修事業に伴う低水路掘削工事に先立って2022年度から発掘調査が行われている。付近にある前方後方墳と推定される竹が花(たけがはな)遺跡との関係や、古墳時代の暮らしに迫る手掛かりが期待される。
これまで1万基以上の遺構が見つかり、建築構造が異なる建物が複数、見つかっている。県内初の方形区画遺構が2つ見つかった。南北21m以上、東西48m以上と、南北12m、東西10m以上の2つ。今年度の調査ではおびただしい数の遺構が密集して見つかった。これまでに竪穴(たてあな)建物、掘立柱(ほったてばしら)建物、平地建物、壁立建物など構造が異なる建物が確認されている。
遺物は土器の土師器(はじき)や須恵器(すえき)などざっと2万点が出土している。22年度の調査では、珍しい「子持勾玉(こもちまがたま)」が出土した。
今年度の調査では新たに木製の頭椎大刀の把頭、竪杵(たてぎね)、鍬(くわ)が出土した。なかでも県内初出土の頭椎大刀の把頭は貴重だ。太刀の握りの把(つか)の先端、把頭がこぶし状にふくれたものを頭椎大刀と言う。
古墳時代後期の刀の刀身はなく把頭だけが出土したもので、野球のボールほどの大きさがある。祭事などに使われたと考えられ、この太刀を所有できる身分をもった有力者がいた証しとして注目される。
これまでの調査で重要な発見が相次いだ。首長居館の遺跡の可能性が高まっていたが、今年度の調査でそれが確実になった。付近には、古代の北陸道の駅家(うまや)である「渡戸駅」が置かれていることから、交通の要衝(ようしょう)だったのが理由のひとつにあげられる。石港遺跡が日本海路を利用して、周辺地域に遠隔地から物資や情報を伝搬するための拠点として機能したと考えられるl
また、石港遺跡から東へ約500mのところに前方後方墳と推定されている竹ヶ花遺跡がある。未調査だが古墳が築造された時期に石港遺跡が機能していた可能性が高く、葬られた人との関係も注目される。