「燕三条インターチェンジ」。違和感を感じただろうか。正しくは北陸自動車道の「“三条燕”インターチェンジ」。1978年9月1日に供用開始されてから46年。もう「“燕三条”インターチェンジ」にあらためていいのではないかという話だ。
「三条燕インターチェンジ」の供用開始から4年後の1982年に「燕三条駅」が開業した。地元では今さらだが、三条市と燕市の境界に位置する上越新幹線駅と北陸自動車インターチェンジの名称をめぐり、それぞれが市が、それぞれの市名を先にしたいと希望した結果、「燕三条駅」と「三条燕インターチェンジ」と分け合ったといわれる。そのいきさつは「【連載/燕三条駅の40年 vol.1】藤井大輔&芳輔の鉄道コラム「鐵道双見」 (2022.12.31)」の「駅名論争の裁定」に詳しい。
隣国がライバル視、敵対視するのはよくある。個人的には燕市と三条市の対立構図はネタとして嫌いではない。遠方からの客を対立ネタで会話の潤滑油に生かせる鉄板ネタで、燕三条を印象づけることもできる。メディアで両市の対立が取り上げるきっかけになることもある。
しかし命名から40年以上たって、この地域は「燕三条地域」として国内外に認知されるようになった。駅名とインターチェンジ名の名称に象徴される対立構図も、さすがに手あかが付いている。
「三条燕」の名称は、今となってはインターチェンジのほかには、「三条・燕総合グラウンド」くらいしか思いつかない。ただつい最近、漫画「るろうに剣心」に「三条燕」という登場人物がいることを知った。
いずれにしろ以前から「三条燕インターチェンジ」も「燕三条インターチェンジ」で統一していいのではと思っていた。しかし、名称の変更に伴う標識などの変更に膨大な費用がかかることは容易に想像できる。
実現可能性は低いだろうと語ることもなく、端からあきらめていた。そこへ11月から「小出インターチェンジ」が「魚沼インターチェンジ」に変更されたというニュース。ことしは魚沼市の市政20周年でもあり、東日本高速道路などに働きかけたらしい。これにはちょっと驚いた。変更できるのではないか。
魚沼市は名称変更により約16億6000万円の地域経済への波及効果を見込む。名称変更に伴う看板などを変える事業者に補助金を出す。「燕三条インターチェンジ」への変更も相当な経済効果が期待できる。
三条市民も当たり前に「燕三条地域」と称しているように、今さら「三条燕」にこだわる市民は少ないだろう。来年は三条市も市政20周年。その記念事業としてインターチェンジの名称変更に取り組んではどうか。市民のコンセンサスがとれればきっと国土交通政務官の国定勇人衆院議員も応援してくれるだろう。
「昔、燕三条駅と三条燕インターという名前で…」と過去形のネタにした方がおもしろい。「燕三条インターで」でもうええでしょう。