国定勇人国交大臣政務官が25日、大河津分水路改修事業をはじめ新潟県内で進められている治水事業を視察した。
信濃川下流のやすらぎ堤から関屋分水資料館、小須戸橋架替、横場新田河道掘削、大河津分水路の信濃川大河津資料館と「にとこみえーる館」、信濃川の長岡地区河川防災ステーションと塩殿遊水地と、上流へ向かって移動して視察し、信濃川河川事務所長の福島雅紀所長から説明を受けた。
1922年(大正11)に通水した大河津分水路では、信濃川大河津資料館の4階展望台から新旧の洗堰(あらいぜき)を見下ろしながら大河津分水路の建設の経緯や機能を聞いた。
通水から5年後に自在堰(じざいぜき)が陥没し、その補修工事を指揮した当時の新潟土木出張所長の青山士(あきら)の言葉を刻んだ信濃川補修工事竣工記念碑が旧洗堰の近くに建つ。自在堰を模して作られ、台座には自在堰の一部が使われている。国定政務官はじかに手でふれて残していかなければと話していた。
「にとこみえーる館」は、2032年度の完工を目指して工事が進む大河津分水路改修事業「令和の大改修」の情報発信拠点。工事前から完成へと変化するようすをVR映像でも体験した。大河津分水路のスケールの大きさ目の当たりにして先人の功績にあらためて感銘を受けた。
国定政務官は三条市長だったとき毎年、大河津分水殉職者慰霊式に参列。大河津分水路は身近な存在だったが、国土交通大臣政務官就任であらためて令和の大改修の進捗(しんちょく)管理を自分の目で見たいと視察を行った。
書面上では進捗状況の説明を伺っていたが、恥ずかしながら「にとこみえーる館」に来るのも初めてで、どこまで事業進捗が進んでるのかを直視しながら説明聞くのは初めてだった。着工した日を思い起こすと着実に進んできてるなというのが正直な感想」と話した。
ことし7月に工事現場の左岸側で斜面の崩落が発生したが、「そもそも大河津分水路を開削するときに右岸側の山がずれ落ちて大変な被害を受けてることもあり、施工上はこれまで以上に一生懸命、取り組む必要がある」と気を引き締めた。
また、早ければ2年後に開通する三条市と福島県只見町を結ぶ八十里越とあわせてインフラツーリズムとしての可能性も期待されるが、「今から考えていかなければいけない前向きな課題」と述べた。