二十歳を祝う「成人の日」の13日、新潟県燕市では還暦の60歳で第二の人生をスタートして20年を迎えた80歳を祝う「熟年成人式」がことしも行われた。
吉田地区老人クラブ連合会(堀裕恒会長)主催で「シニアセンターよしだ」で行われた。連合会に加盟する吉田地区の老人クラブから19人が出席し、式典のあと食事をしながらアトラクションを楽しんでもらった。
式典で出席者を代表して、 23日で80歳になる若葉会の渡辺英昭さんが感謝の言葉を述べた。出席者は終戦の直前の1944年(昭和19)4月2日から45年(昭和20)4月1日生まれの人。名前に「勝」の字を入れた人が多かった。
当時、父は満州の軍事工場で働き、渡辺さんはB29が飛んでいる最中に生まれた。その後、長岡、東京で大空襲、広島、長崎の原爆投下でたくさんの犠牲者があって終戦を迎え、「激動の時代だった」と振り返った。今、日本を平和だが、世界では各地で戦争が起きていることを憂えた。
昨年6月に吉田中学校の1963年(昭和38)卒業の会があり、卒業した260人のうち、60人が高いし、施設入所や体の不自由な人もあり、出席者51人で旧交を温めた。
「自分はこれから残された人生を未知の世界が見られる本を読み、知識の吸収を図り、ストレスをためないという意味で、ある学者の説によると、後期高齢者は三無主義、すなわち、したくないことはしない、行きたくない所には行かない、会いたくない人間に会わないというのを、皆さん参考になるか知りませんが、私はそれを貫いて長生きしようと思って、趣味を楽しみながら目標として米寿まで前向きに自分の人生を歩んでいきたいと」と述べた。
成人式がなかった時代に生まれた人たちから還暦で年齢をいったんゼロにして、新たに20年の二十歳を迎えた人たちをあらためて成人式で今度は長寿を祝おうと毎年、「成人の日」に開いている全国的にも珍しい事業。ことしで30回目になった。
ことしの対象者が生まれたのは、終戦間際の戦況が厳しくなり、健康な男性の多くが徴兵された時代。出生者が少なく、これまで参加者が最も少なかった昨年の23人よりさらに4人少なかった。
しかし年々、老人クラブの入会者が減っているため今後、出席者が大きく増えることはなさそうだ。