14日夜から小正月の15日の夜明けまで大ろうそくの火をともし続けて商売繁盛や家内安全を祈る新潟県三条市・八幡宮(藤崎重康宮司)の献灯祭(けんとうさい)が行われた。
全国各地へ商いに飛び回る三条の金物商人が、商売繁盛と旅路の安全を願って江戸時代にが始まったとされる伝統行事。八幡宮拝殿には奉納された5貫目(約18.7kg)34本と3貫目(約11.2kg)1本の大ろうそく、裏手の金山神社には650匁(もんめ・約2.4キロ)のろうそく80本に火がともった。
14日午後7時から八幡宮で藤崎宮司が神事を行ったあと、奉納者は火打石と火打金を打ち合わせた切り火で清めてもらってから神灯を奉納したろうそくに移した。その後、金山神社でも同様にろうそくに点火した。
雪で真っ白に覆われた境内を歩いて参拝するのが献灯祭の風景だが、時々、強い雨が降った。境内はぬかるみ、雪なら払えばいいが、雨はびしょびしょになってたちが悪く、人出も少なめだった。
それでも拝殿で手を合わせ、境内に露店が並び、おたきあげの火で暖を取る見慣れた献灯祭の風景。「ことしも無事でありますように」と願いを声に出す人もいた。八幡宮での神事のあとの藤崎宮司のあいさつ、滝沢亮三条市長の新年のメッセージは次の通り。
あらためまして新年あけましておめでとうございます。令和7年の献灯祭神事、執り納めました。やはり暖冬ということでしょうか。このような雨の降る献灯祭はほとんど記憶にありません。雪もあるていど覚悟はしていたんですが、雪解けのこの境内がまた大変なことになっております。こういったことも本当にやっぱり気候変動のひとつの現れかなと思っております。
この拝殿、この社殿が新しくなったのが平成17年の5月竣工でございます。ですから、ことし20周年なんですけれども、この献灯祭に限って言いますと平成17年の1月にはまだ、このお宮はできていなかったので、仮殿であった金山神社で催行しようということだったんですが、金山神社には金山神社のろうそくがもう上がっているので、どういう形でやるかということを当時、奉賛会役員の方、大勢、頭を悩ましたんですけれども、仮設の建物を境内に建てるというような話もあったり、いろいろでもとにかく外でやろうということんなりまして、冒険なんですけど、それしかないということで金山神社の参道の脇に雪で台を作りまして、雨よけのテントを張りました。
ところが本当に当日は風ひとつない穏やかな日和で、本当に星も出ていました。ろうそくの炎が真っすぐ立ち上っていて、ちょうどその年、中越地震の年でございましたので、いろんなところでそういった小正月行事、そういったところで異例のともしびをともすというようなこともあって、そのときに確か東京の読売新聞でしょうか、取材に来て写真も撮って行かれたんですけれども、ちょっとお話をということで、このような形のやはり中越地震の慰霊の意味を込めてこういうふうにやられてるんでしょうかって言うから、そういった意味もありますけれども、実は、これをやる場所が今お宮を作っているので、外でやるしかなかったんですけれども、幸いなことに穏やかな献灯祭ができたということで非常に印象深い。それがちょうどですから20年前になるわけです。
奉納のろうそくに点灯されるとき、ぜひいろんなそういった思いも込めて点灯して三条の繁栄、そしてこの地域のますますのきずなが深まること、それをご祈念いただければ、本当にありがたく思います。長くなりましたけれども、ことし1年、またよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。三条市長の滝沢です。ことしも無事に献灯祭に参加することができました。ことしは三条ももちろんですけれども、日本全国で災害も起こらずに平穏な1年になるようにということでお祈りしてきました。
また、あの神事の最中、多くの市民の皆さまの手ははたく音、鈴を鳴らす音、賽銭を入れる音というのが聞こえました。1人でも多くの皆さんの願い事がかなうような1年に、そしてそれに対して私自身もお手伝いしていきたいなというふうに思いました。
そしてことしはちょうど三条市と栄町と下田村が合併して20年の年です。三条市がさらに結びつきが強くなって、皆さん方と一緒に、さらにいいまちをつくっていきたいなというふうに思っておりますので、ことしもどうぞ1年よろしくお願いします。