「成人の日」の12日、新潟県燕市の吉田地区老人クラブ連合会(堀裕恒会長)は「シニアセンターよしだ」でことしも還暦の60歳で生まれ変わってから20年の成人を祝うと「熟年成人式」を行い、傘寿(さんじゅ)でもある80歳を迎えた会員の長寿を祝った。

成人式がなかった時代に生まれた人たちから、還暦で年齢をいったんゼロにリセットして新たに20年のはたちを迎えた人にあらためて成人式をと毎年、「成人の日」に熟年成人式を行っている。
ことしの対象者は、1945年(昭和20)4月2日から1年間に生まれた会員で、対象者25人のうち男性8人、女性5人の13人が出席した。
老人クラブ会員の減少もあるが、とくにことしは終戦の年の生まれとあって対象者が少ない。出席者は昨年の19人を下回り、過去最少。女性の和服の出席者がなかったのもおそらく初めてで、新春を祝う華やいだ雰囲気も物足りなかった。
ただ、来年以降は第一次ベビーブーム、団塊の世代に向かうので対象者が増える見込み。来年の対象者は40人ほどになると見られる。

式典では主催者や来賓があいさつした。その後、祝宴に移り、大正琴や民謡の演奏を楽しみながら食事をし、酒を酌み交わした。
式典では、対象者を代表して関森正徳さん(80)=喜心会=が謝辞を述べた。関森さんは、ほかの学年に比べると非常に子どもが少なく、吉田中学校の生徒数も4クラスの210人ほどったと子どものころのことから話した。
関森さんは米納津小学校で学び、児童数は29人だった。小学校6年の時に米納津中学校と吉田中学校が続合が決定したが、米納津集落は、中学校が無くなることに反対。統合に反対した集落の人たちは、独自に代用教員を探し授業を続けた。
関森さん父の言いつけに従い、吉田中学校に進んだ。関森さんの学年で吉田中へ入学したのは5人だったがその後、ほかの生徒も五月雨式に吉田中へ通い、全員が吉田中を卒菜した。

「私たちは、わずか30名はどの生徒が、親の方針により吉田中へ行く者と米納津に残る者と分断されました。私たち吉田中に行った生徒は、集落の人たちから非難され、心に大きな傷を負いました。今でも心のどこかで、残っている気がします」。
現役のころは金沢で単身生活した。通動で犀川べりを歩くと2人連れで散歩する人に多く会った。自身も家に帰ったら妻と2人で散歩をしようと心に決めていた。
「今は、天気のいい日には、事と必ず教歩をしています」。
散歩コースの大通川放水路わきの法面には、たくさんのごみが捨てられたり流されたりしてたまっている。春先には、妻と2人で大きな袋数個のごみを拾い、地区のクリーンデーに持ち込んでいる。これからも続けたいと思っている。
「今日、ここに出席した人の一人として恵まれた健康に感謝しながら、吉老連の一員としてお役に立てればと思っております」と締めくくった。