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三条信用金庫前会長で元三条市長、故金子六郎さんの三条信用金庫・金子家合同葬が、28日午前11時からVIP典礼会館ジャクセン県央で行われ、約900人が参列して三条市の昭和の政治、経済の牽引役となった金子さんの偉業をしのんだ。 金子さんは8月28日、間質性肺炎と肺気腫による呼吸不全のため82歳で亡くなった。合同葬は、杉野良介同金庫理事長が葬儀委員長、金子六郎さんの長男で同金庫の金子俊郎常務理事が喪主を務めた。 開式の辞で葬儀副委員長の近藤清治同金庫専務理事は、8月31日に金子家の近親者で密葬を行ったことを報告した。 杉野葬儀委員長は「本日は多くの方にお別れに来ていただき、驚いています。昨年12月に済生会に入院され、先生方の治療と奥さまの献身的な介護で、当金庫の100周年に必ず出席するんだと、見事に回復されました。今は痛恨の極みでいっぱいです。人生とは人と人との出会いの旅と言っておられましたが、本当に多くの恵まれた出会いがありました。どうか天から見守っていてください。金融機関を取り巻く環境は厳しく、この時代に会長を失うことは暗夜に灯火を失ったようです。私たちはしっかりとご遺志を受け継いでいきます」と告別の辞を述べた。 高橋一夫三条市長は「あなたの姿を拝見すると『凛(りん)』という言葉を思い起こし、私も身が引き締まります。あなたのご遺志は大きく引き継がれていきます。お疲れ様でした。ゆっくりお休みください」と弔辞を述べた。ほかにも、平山征夫新潟県知事の代理の宮崎俊麿産業労働部副部長、小沢辰男新潟県済生会会長、小柳実新潟信用金庫理事長、松永悦男三条市体育協会会長、三条南ロータリークラブの田中正佐久さんがそれぞれ弔辞を述べた。 喪主の俊郎さんは「父はその時々、大変、一生懸命に生きてきました。満足していることと思います。生前、父は亡くなった人のことは早く忘れた方がいいと言っていました。私たちも平常の日常生活に戻りたいと思います」とあいさつした。 金子さんは同金庫理事長だけでなく戦後の三条市の市長、体育協会会長、三条南ロータリークラブ会長なども務め、それぞれ多くの関係者がお別れに訪れていた。 葬儀は3階で行われたが、2階の葬儀場と3階の廊下にも列席者が参列し、ジャクセン全館を使っての葬儀となった。2階と3階の廊下は葬儀の様子をモニターで映して行われた。 【関連リンク】 三八豪雪の8ミリ映画に残る43歳の故金子六郎氏をムービーで(2001.9.26) ■Copyright (C) kenoh.com Allrights Reserved. |
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