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三条市歴史民俗産業資料館(羽賀吉昭館長)は、22日から6月20日まで同資料館で浅野正俊展を開いており、三条出身で芸大を卒業して文展などで活躍しながら高校の美術教諭として後進を育てた日本画家、浅野正俊(1907〜1988)の作品を展示している。 大作2点、軸装3点、10号以下がほとんどの額入りの小品10点、色紙14点の合わせて29点を展示している。 会場の印象を決定づけているのが2つの大作だ。ひとつは縦240×横175cmで軸装にした「東京駅」。離れないと全体が見渡せない大きな画面の下半分に東京駅、上半分に暗く沈む空を描く。 屋根の緑青が鈍く光る東京駅は、戦災後の修復にされた今の形と違い、中央の丸い屋根が特徴的。日没前なのだろう、正面の時計は7時55分を指す。街灯が灯る駅前には、自動車と人力車が共存し、雨で濡れた駅前広場に揺らいだ影を映す。 駅構内からまぶしいほどに灯りがこぼれ出し、傘を差して行きかう人までしっかり描写。離れてみたときのダイナミックな構図とは対照的に、近づくと生活感を感じさせる人物描写と、2つの視点で作品を楽しめる。 浅野正俊が上京したのは大正14年(1925)。大正3年(1914)にオランダのアムステルダム中央駅に模して建造された東京駅に、三条で生まれ育った浅野が目を見張ったであろうことは容易に想像できる。 大作のもう一方は、2枚折れ屏風「あんよが上手」。母が娘2人の前で男の子と思われる幼子の体を支えて“あんよ”させている姿だ。 まず目を引きつけるのが、着物の色彩。向かって右の娘2人は暖色、左の母子は寒色と対比させる。なかでも母の着物の色は深みのある青で、微妙に明るさを変えて描いた紋様は見事だ。 また、彩色された母の着物の下にはうっすらと下絵の線が何本も見え、試行錯誤を繰り返したあとが明らか。ほのぼのとした情景を描写しながら完成度の高い画面は緊張感さえ感じさせる。 いやでも気迫が伝わってくる大作と異なり、それ以外は描きたいものを描きたいように描いている印象。そのなかでも伝統的な日本画にはない構図や洋画を思わせる彩色に挑戦しており、気張ったところのないまさに創作の手本となるような作品だ。 浅野は三ノ町御蔵小路(今の本町5)の凧屋に生まれ、旧制三条中学(今の三条高校)卒業後、東京美術学校(今の東京芸術大学)日本画科に進み、早くから日本画に洋画の手法を導入して文展、芸展で活躍した結城素明(1875〜1957)に師事した。 卒業制作「かごめ」は同校買い上げとなり、将来を期待されたが都立第十高女(今の豊島高校)の美術教諭という道を選択。そのかたわら文展、日本画院を中心に活躍。画業を生業としなかったこともあり、故郷ではその名を知られることはあまりなかった。 同資料館では、4月20日から「清水敦次郎・浅野正俊・源川雪 三人展」を開いており、浅野正俊展は清水敦次郎に続く第2弾。6月4日までを前期として、一部展示替えを行って6日から後期をスタートする。 また、会場では以前、作成した浅野の作品の絵はがきを芳名帳に記帳した人に先着順でプレゼントしている。入場無料。問い合わせは同資料館(電話0256-33-4446)へ。 ■関連リンク 三条市歴史民俗産業資料館で「三人展」皮切りの清水敦次郎(2002.4.20) |
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