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16日の燕市6月定例会初日、故古寺市議に対する追悼演説(2004.6.16) |
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燕市議会6月定例会初日の16日、大岩勉副議長は、4月5日に病気のため68歳で死去したで亡くなった故古寺正晴市議に対する追悼演説を行い、故人の業績や思い出をしのび、哀悼の意をささげた。
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16日の燕定例会初日で行われた故古寺市議に対する追悼演説で、故古寺市議の席に花を飾った。
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燕市議会は市議が在職中に死去した場合は、次の議会を追悼議会とし、遺族に出席を求めて副議長が追悼演説を行うのが慣例。この日は故古寺市議の席に白い花を飾って本会議を開会した。
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追悼演説を聴く故古寺市議の長男、正さん
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会期を決めたあと、故古寺市議の長男の正さんを議場に招き入れ、全員が起立、黙とうしてから大岩副議長が追悼演説。大岩副議長は、故古寺市議が初当選後、早々に市内の農家のコシヒカリを市内で精米、市の学校給食に利用するよう訴えて、教育委員会の答弁をはねつけて実行したことが特に印象深いと振り返り、西蒲原地域の農業振興に貢献した功績をたたえた。
また、3月の入院で主治医から気力だけで市議の職務を行っていると驚かれたことを紹介。故古寺市議は「こんつぁ病気に負けてらんね。はよ議会に戻って、吉田と合併しんばだめら」と末期ガンの激しい苦痛にもうめき声一つもあげず頑張ったと話した喪主の長男のあいさつに「胸がかきむしられる思いがした」と言い、市議会が命を縮めたのではと悔やんだ。
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追悼演説を行う大岩副議長
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最後に、「責任感が強く自分の思ったことはまっすぐに進まないと気が済まない、強い意志で議員活動を最後まで貫徹されたあなたの姿は、私たち議員の鏡としての誇りです。私たち議員一同は、もし、あなただったらどのように考えられ、どのように発言されたかおもんぱかり、これからの市政運営にあなたのご遺志が反映されますよう力を合わせていく」と締めくくった。
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5日夜、古寺正晴燕市議が入院先で死去(2004.4.6)
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