久米宏だったと思う。10年以上も前、バブル経済を経験した日本人は物や金が幸せをもたらしてくれないことに気づいてしまった、という趣旨の発言をした。以来、ずっと頭の隅にひっかかっていた。物や金でなければ何なのか。心であることをわかっていたし、心の豊かさにつながるのはコミュニティーだろうと想像できたが、具体的な形がイメージできなかった。
町内会的な消極的な結びつきが心の豊かさにつながるとは思えない。なんらかの“ネタ”が必要で、そのネタの下に「この指止まれ」式な自発的な組織が必要であることは漠然とわかっていたが、いざ手法となると検討もつかない。そんなもやもやした気持ちをずっともち続けてきたが、最近になっておぼろげに見えてきた。
13日にコミュニティデザイナーの山崎亮さんを講師に「三条まちなかトークライブ」が開かれた。ネットで山崎さんを下調べするうちに、きっとここに答えがあるはずと確信した。取材者というよりは求道者的な心持ちで胸躍らせて会場へ向かった。具体的な内容は記事を読んでもらうとして、期待を上回る内容だった。目指すべきコミュニティーの輪郭がぐっと鮮明になった。
トークライブで山崎さんと対談した国定勇人三条市長は、ブログ「三条市長日記」の「過小評価をしていたのは自分だったのかも…」でトークライブについて書いた。このなかで国定市長は気付いたこととして会場の雰囲気に言及した。トークライブを主催したのは三条市ESD協議会。「今まで、三条市を始めとする公共セクターが催すシンポジウムではなかったであろう、それこそ圧倒的な“明るさ”“若さ”“前向きさ”が充満していたような気がします。」と国定市長は書く。その通りだった。山崎さんの魅力もあるだろうが、今まで味わったことのないような熱気を共有した。
トークライブのなかで山崎さんは、同じような活動であっても、それが行政主導なのか、民間主導であるのかでまったく意味は異なってくると話した。その視点からトークライブ自体が、すでに山崎さんが示すコミュニティーデザインの実践であり、メタ構造になっていた。
目指すものの形がはっきりしてきて、あらためて最近の三条を振り返ると、中心市街地の活性化をはじめ、地産地消、スマートウェルネスシティ、燕三条ブランド、そして三条マルシェなどさまざまな取り組みが同じ延長線上に見えてくる。
数年前から三条市民の意識の変化を実感している。山崎さんが言う「そこで主体的に活動しようと思う人たち」が確実に増えている。SNSの浸透で、それが組織というよりも個人のつながりから広がった人と人とのネットワークという、ゆるいフレームのなかで機能しているのも特徴。今後の活動に大いに期待し、傍観者としてではなく、積極的にかかわっていきたいと思った。