今回の衆院選の新潟県第4区、第2区の応援で、自民党を中心に政界の大物が遊説で次々と燕三条を訪れた。真剣に戦った各陣営に対しては不謹慎だが、率直に言っておもしろかった。これだけの大物の演説を短い期間にまとめて聞ける経験はそうそうない。
残念だったのは天気。終盤を除いて大物の応援演説のたびに季節外れの寒波と吹雪に見舞われ、聴衆が100人足らずのこともあった。演説する側も聴く側も、まるで試練のような街頭演説が続いた。報道関係者も同様で、ぬれねずみのようになり、大げさではなく歯をがたがた言わせて寒さに震える記者もいた。カメラのレンズがぬれて景色がぼやけて写り、ぬれたノートにボールペンのインクが乗らない。いろんな意味で記憶に残る大物の遊説を極々私的に偏見たっぷりに振り返ってみる。
減税日本(当時)小林興起氏
まずは公示前の11月18日、加茂市産業会館で開かれた4区の栗原博久氏の合同選対事務所開きに訪れた小林興起氏から。当時は減税日本に所属したが、日本維新の会との大同団結を目指して減税日本を離党。しかし日本の維新の会の公認を得られず、22日に発足した、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党に参加した。
当時、無所属だった栗原氏の第三極入りがうわさされ、集まった報道関係者の最大の関心事は、栗原氏がどの党に参加するかだったが、結局、小林氏が拒否された日本維新の会に参加し、たもとを分かつことになった。
合同選対事務所開きで小林氏は「栗原さんの長きにわたります友人」と自己紹介しており、その後、ふたりの仲がどうなったのかはわからない。小林氏は「国会がね、いきなり解散しちゃって、もうみんなびっくりしてるとこですね」とぼそぼそと話し始めた。隣の家のおじさんが、いきなり勤め先が倒産し、困惑してぼやいてるような感じとでも言うのだろうか。
テレビで見る激しい話しぶりからは拍子抜けするような口調だったが、だんだんとエスカレート。だみ声でまるで講釈師のような熱のこもった話し方で引きつけた。
次の予定があるので、自分のあいさつが終わると閉会を待たずに退出。報道関係者は車に乗り込む前の栗原氏の足を止めさせ、主に栗原氏が第三極のどの党の公認を受けようとしているのかと問い詰めたが、小林氏はどの党になるかはわからないと答えるばかりだった。その後を見れば、小林氏自身も減税日本を離党したものの日本の維新の会の公認を得られず結局、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党に参加したことからもわかるように、自分さえままならなかったのに、栗原氏どころではなかったのかもしれない。