【連載/燕三条駅の40年 vol.2】藤井大輔&芳輔の鉄道コラム「鐵道双見」 (2023.1.19)

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市境をまたぐ駅舎

燕三条駅の駅舎を三条口側から(2023年1月19日撮影)
燕三条駅の駅舎を三条口側から(2023年1月19日撮影)

前述のように、Bルート案決定に基づいて、圃場広がる須頃郷に燕三条駅が建設されることになった。弥彦線との交点に新幹線駅ができるのは間違いなかった。ただ、弥彦線との交点はどこか。

新幹線のルートを西寄り(弥彦山に近づける)にとれば、燕市街地に近づくが、北陸自動車道との立体交差、中ノ口川に近づきすぎることになるだけでなく、三条市内からは少し遠くなる。東寄り(守門岳・粟ヶ岳に近づける)にとれば、信濃川があり、燕市内からは少し遠くなる。もはや、現在の燕三条駅の位置しかなかったといえるだろう。もちろん、北陸自動車道も上越新幹線のルートを考慮して建設されているだろう。

弥彦線と接続でき、新幹線駅舎が両市にまたがるように、長さ437.5m、最大幅41m、高さ25mの燕三条駅が建設されることになった。下の図2のように、駅舎内に市境がジグザグと入り込むことになった。

1971年(昭和46年)11月28日に上越新幹線建設工事は着工したものの、燕三条(仮称)駅の工事に着手したのはおよそ5年が経過した1976年(昭和51年)12月16日だった。

図2 燕三条駅の平面図(建設時) 出典:日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局編(1983)、p.869より、市境に色差し加工
図2 燕三条駅の平面図(建設時)
出典:日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局編(1983)、p.869より、市境に色差し加工

鉄道駅が複数の市町村にまたがるのは決して珍しいものではない。JR埼京線(赤羽線)の板橋駅は、豊島区、北区、板橋区の3区にまたがる(所在地は北区滝野川七丁目4番1号)。阪神電車の武庫川駅は武庫川の橋梁上にあり、兵庫県西宮市と尼崎市にまたがる(本線の所在地は尼崎市大庄西町一丁目1番1号で、武庫川線の所在地は西宮市武庫川町2番15号)。

西武池袋線の秋津駅にいたっては東京都東村山市、清瀬市、埼玉県所沢市の2都県3市にまたがる(所在地は東村山市秋津町五丁目7番8号)。ただ、新幹線駅で複数の市町村にまたがるのは、福島県西白河郡西郷村にある新白河駅(東北新幹線)のホームの北側が白河市にまたがる程度で、燕三条駅のように駅舎をジグザクと横切るような新幹線駅はほかにない。

いっそのこと、新幹線ホームに市境を描いてもいいと思うが、列車安全運行上から難しければ、1階のコンコースに描いてもいいだろう。逆手にとってアピールするくらいあっていいはず。

新幹線駅では、大都市で全列車が停車する駅や地形の制約がある駅を除いて、通過する本線とホームのある副本線の計4線が並列する配線となることが多い(1990年代以降の新幹線駅ではホームドアを設けて本線にホームを設置する)。

燕三条駅では、本線と副本線に加え、上り線に第2副本線を増設し、通過線2本、副本線3本の2面3線とした。下りホームを11番線ホーム、上りホームに12番線・13番線ホームとして、第2副本線を13番線ホームとした。この13番線ホームは、輸送の弾力性(異常発生時に列車収容を早める)を確保するだけでなく、新潟車両基地からの試運転列車を折り返させるために使用することが計画されていた。

この配線となったため、3階に相当する新幹線ホーム階の配置は東西対称にならず、ホームの幅も上りホーム(島式)は9mほどあるのに対して、下りホーム(対向式)は7mほどしかない。ただ、旅客流動を考えれば、下り列車は降車が、上り列車は乗車が多く、乗車時の方がホームに滞留する時間は長いため、ホームの幅に違いがあるのは極めて合理的である。

図3 駅舎断面図 出典:日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局編(1983)、p.746
図3 駅舎断面図
出典:日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局編(1983)、p.746

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図4 線路配線図
出典:日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局編(1983)、p.746

図5 建設中の燕三条駅
図5 建設中の燕三条駅
出典:日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局編(1983)、p.874

東西対称の広場

燕三条駅は南北に長い駅舎で、東西方向には駅前広場が展開されることになった。三条市、燕市の都市計画事業と軌を一にして、燕三条駅の立地条件から駅前広場機能は両市側とも表玄関として考えたいことから、三条市、燕市、新潟県、日本鉄道建設公団の協議により、東西それぞれに10,000m2程度の駅前広場を設けることになった。この10,000m2程度の面積は、次のような算出によって導き出された。

「昭和71年度」(1996年度)に、燕三条駅の乗降人員が一日15,000人、停車列車本数は一日60本と想定、二次交通にバス40%、タクシー25%、自家用車30%、徒歩5%として駐停車スペースが決められた。こういった「想定」は、のちの時代に検証できる。乗降人員が15,000人なので、単純に乗車人員は7,500人と計算できるが、残念ながら5,000人すら超えたことがない。

のちの時代の検証は時として残酷にも感じてしまう。二次交通のバス40%は、開業から40年経ち数えられるほどまで少なくなった。自家用車アクセスが多くなり、燕側のバスプールを自家用車駐車場に、三条側のバスプールをタクシープールに、タクシープールを自家用車駐車場になるだけでなく、駅用地の高架ホーム地上部分も駐車場となった。

ちなみに、東側の三条口の駅前広場面積は10,100?に対して、西側の燕口の駅前広場面積は12,000m2と、少し燕側が広い。

図5 駅前広場レイアウト
図5 駅前広場レイアウト
出典:日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局編(1983)、p.748より、市境に色差し加工

一方、燕三条(仮称)駅の建設決定時に弥彦線との接続が考慮されたが、着工時には弥彦線のホームや附帯設備が最終確定していなかった。1978年(昭和53年)3月に、国鉄新潟鉄道管理局長から日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局長宛に弥彦線連絡施設の設置が要請され、1982年(昭和57年)5月に国鉄信濃川工事局が工事を受託することになった。

新潟駅、長岡駅、浦佐駅、越後湯沢駅は、新幹線が在来線に併設されるため、営業中の在来線に支障を生じさせることなく新幹線工事を進めることとなる。そのため、国鉄が工事を受託していたが、燕三条(仮称)駅の弥彦線部分についても、弥彦線を日々運行しながら安全に建設するため、国鉄が工事を引き受けることになった。(続く)

(文・藤井大輔)

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