そして菊田氏があいさつ。30歳で衆院選に初挑戦したころから振り返り、いろいろな仕事をし、地元からのさまざまな要望や陳情を受け、すべて全力で取り組み、実現、実行してきたと話した。
しかし、「この1年間、街頭に立ってマイクを持って政治報告、活動報告をすることが怖くなりました、できくなりました」と打ち明けた。「3年前の夏の日、皆さんに約束をした、一度、政権交代をさせていただきたい、民主党に任せてほしい、あたしにやらせてほしい、でもだめなときには変えていただいてもいいんですとわたしは皆さんに約束をした」。
ふたを開けて見ると60年間続いた自民党のしがらみ、利権を変えるのは粘り強く、辛抱強く、あるていどの時間も必要とわかった。結果として約束したのにできなかったことや果たせなかったことがたくさんあった。
もう一度、チャンスを与えてほしい、選挙で応援してほしいと言える立場にあるかと、今回の選挙に出るか出ないか、どんな顔でと、悩み、苦しんだ。民主党から多くの仲間が去った。
ここでやめたら、この3年間で学んだことがむだになるが、3期9年間は自分ひとりでここまできたのではなく、多くの人が心血を注いで育ててくれた。それを忘れ、思いを果たさずに「志半ばで、道半ばで逃げ出した方が楽」だが、「ここで逃げ出すわけにはいかない」と声を詰まらせた。
ことし結婚して、子どもをもっている家庭が「頑張ってるんだなと自分の体験を通して骨身に感じることができました」。
「過去の栄光が忘れられなくて、きのうまで言っていた政策と百八十度違うことを言って、新しい看板に掛け替える振りをして、またこの4区に出ようとしている人がいます」と予想される対立候補を批判した。