自己紹介
細田健一氏:大学卒業後、経済産業省で18年間、主として中小企業の振興に汗を流した。中小企業の現場の声を誰よりも聞いて政策をつくってきたという自負がある。
ただ、役人の限界も感じ、誘いがあって民間企業に転じたが、どうしても政治への思いが断ち難く、政治の世界へ転身した。役人、民間企業、政治の3つの世界を経験したのがわたしの人生の特徴。
政治家を志したのは震災後、福島でボランティア活動をした。すばらしいボランティアに会うことができた一方で当時の菅直人民主党政権が割にひどかったので、このままでは日本がつぶれてしまうのではないかと危機感を抱き、政治家を志した。
日本人が本当にすばらしいところがたくさんあるが、一人ひとりの日本人の良さを生かしながら一人ひとりがしなやかに生きられる国をつくりたい。
鷲尾英一郎氏:政治を志したのは3歳のときに肺に病が見つかり、大手術をしてなんとか生きながらえることができた。なんとか社会に恩返しをしたい、次の時代は今よりもっといい時代にしなければならない、そんな思いを抱いた。
小学校に入って肺の病だったのでプロスポーツ選手とかにあこがれることすら許されなかった。自然と本に向き、そこで聖徳太子をすごい人だと尊敬したことが政治家になったきっかけ。
国家ビジョンについて話すと、聖徳太子の時代もそうだが、仏教という精神文明を導入しながら日本の精神の和の心をしっかりつくった。こういう多様性が日本古来、価値観としてあった。この多様性は現代社会に生きなければならないし、偏りがあっては日本の精神ではない。
自らの歴史を知りながら排外的に、攻撃的になることなく、ほかとしっかり共生していく、これがわたしが求めるべき国家ビジョンであり、皆さまと共有したい。
五位野和夫氏:会社員をへて99年春から07年まで柏崎市議を2期8年、07年から10年までJA柏崎経営管理委員を1期3年、務めた。現在は日本共産党中越地区委員会に勤務する。
会社員は町工場の機械工場で油にまみれながら仕事をした。家は昨年春でわたしの情熱不足で続けられなくなったが、農家だった。父とふたりでコメを作ってきた。
町工場、中小企業で直接、働いていた人間、農業をやっていた人間、市議会で政治の一端をやらせていただいた人間として、平和憲法が大事な輝く日本にしてほしいとこの道に進んでいる。
市会議員の経験からすると、国の政治が良くなれば地方の政治も良くなる。国の政治が悪くなれば、現場の人たちにしわ寄せがいく。このことを憲法の精神をもって良くしていきたい。
渡辺英明氏:長岡市生まれの長岡市育ち、家はウナギの料理屋だった。幼いときは芸者が良く来た。冬の夜、当時の輪タクからおりる芸者のあでやかな姿にうっとりした。そういうところに育ったので教師という堅い仕事に就いたようだ。
教員になったばかりのころ、先生方は良く酒を飲み、良く語り、仕事も一生懸命やった。決して堅いばかりの職業ではなかった。子どもが大好きだったので楽しい仕事だった。
とりわけ栃尾高校の定時制に務めた5年間は最高だった。毎年の卒業式で泣くことができた。生徒たちの4年間の成長ぶりについつい涙が出てしまう。
わたしの国家ビジョンは安倍首相とは真逆。すなわち日本国憲法に基づく民主主義的平和国家を目指す。
集団的自衛権の行使による戦争できる国づくりは、日本の若者の命を危険にさらす。今まで通り武力による紛争解決を否定し、武器も輸出せず、諸外国の信頼を得る。そのうえで紛争当事国の仲介に積極的にかかわる。
さらにアジア太平洋戦争は侵略戦争だった、中国、朝鮮半島の人々に甚大な被害与えたという認識の共有化を国民の間に深い、アジア諸国の信頼を得ていく。充実を少しずつ図り、対等な関係を築いていく戦略を政治家や官僚に説得してきたい。