安全保障政策
渡辺英明氏:日本国憲法に基づく平和国家を目指していく以外に日本の安全保障の道はない。安倍首相は集団的自衛権の行使は憲法が容認しているという勝手な解釈変更を行った。
集団的自衛権とはわかりやく例えれば、友だちが誰か第三者になぐられたとき、自分はなぐられていないのにかかわらず、その第三者を自分が殴ってしまう行為を言う。
ただ、日本の場合は友だちが少なく、友だちとは米国を指す。わたしに言わせればジャイアンみたいな友だち。これまでも米国から例えばイラク戦争で自衛隊を出せと要請があったとき、時の政府は日本は憲法九条があるからだめと断った。
それでも米兵を運ぶ輸送機を出し、名古屋高裁では違憲判決が出た。自衛隊の地上派遣は米国に対しては断った。しかし、今度はそうはいかない。集団的自衛権の行使を容認したから、政府は断れなくなる。
それは今後、自衛隊の若者たちが米国の利益のために命を落とすことになるということ。それは若者たちの平和的生存権の侵害で、アジア太平洋戦争の死者たちの魂をかきむしることになる。
細田健一氏:わが国の近隣諸国からの安全保障上の脅威は近年、増大している。これは毅然として対応していく必要がある。
最近の小笠原のサンゴの密漁問題があったが、佐渡だって国境離島であり、いつ同じような問題、状況にさらされるかわからない。わが国一国のみの対応では当然、限界があり、米国のような同盟国ときちんと連携をとって対応する必要がある。
集団的自衛権の行使を極めて限定的に認めるという安倍内閣の方針を強く支持しているし、来年の通常国会でこのために必要な法律が提出されると理解しており、この法律を通して米国と、米国を含めた同盟国ときちんと連携がとれるようにすべきと考える。
残念ながらここに出席のわたし以外の3人のパネリストが所属する政党は、いずれも集団的自衛権の行使について反対の立場だが、極めて残念。
関連して拉致問題について、安倍内閣だからこそ拉致の交渉がそれなりに進展している。さらに期限をきちんと区切って成果が出なければ圧力をかけるという政治的決断をすべきで、安倍内閣に申し入れた。これについてはわたしのブログに掲載している。
鷲尾英一郎氏:最初に聖徳太子の話をしたが、あの時代、集団的自衛権を行使して大惨敗している。それは白村江(はくすきのえ)の戦いで、その後、天智天皇は大変な思いをして国防をした。
その後、日本の歴史をどれだけ見ても、大東亜戦争の時もそうだが、戦争してその惨禍で良かったことは何ひとつない。
対外的な脅威が高まると日本は平和ぼけしているとも話もされるが、平和ぼけはひとつは平和が当たり前で、なれ過ぎてしまうことかもしれないが、もうひとつの平和ぼけは、戦争の惨禍、戦争の悲惨さをわれわれが忘れ、やたら好戦的になり、挑発的な行動を安易にしてしまうこと。
戦争は始めたらやめるのは本当に難しい。戦争はこちらから絶対にやるべきではない。そのことだけは、どんなに平和ぼけの世の中になっても忘れてはならない。
集団的自衛権の解釈の変更、これを閣議決定で安倍政権はやろうとしている。憲法に記載していることに重大な変更を加えることだから、憲法改正手続きにのっとってやるべきだ。これこそが日本の立憲主義を守ることになる。
具体的な脅威、良く安全保障上の脅威と言われるが、国益は抽象的なものではない。極めて具体的なもの。細田さんが言ったサンゴの話もそう、尖閣の話もそう。具体的に考えなければいけない。
実際に尖閣に対してはやたら海上自衛官を出すのではなく、海上警察権を強化することによって今、十分に対処できている。その具体的議論は異論を差しはさまないはず。そのような現実的な対応こそが日本に求められる。
五位野和夫氏:今の世界の平和秩序は着実な前進を見せている。2013年、米国が行おうとしたイラン、シリアへの軍事介入は、イラク戦争とは対照的な結果になり、軍事介入は国際世論の包囲によって阻止された。
問題は、国連にゆだねられて外交的解決が選択された。これはどんな大国であっても国連を無視した無法な侵略戦争を簡単には強行できないという時代になったことを象徴するできごとだった。
この世界の流れのなかで日本はやはり憲法九条の精神に立った平和の外交戦略を行うべきだ。日本を取り巻く外交問題は確かに多くの問題がある。しかし、それに対してもっぱら軍事で構えたら軍事対軍事の悪循環に陥ってしまう。
今、何よりも大切なものは紛争を武力をもって解決しないという憲法九条の精神に立った外交戦略を確立すること。日本は外交のパイプづくりに努力し、問題を紛争にしないために対話で問題を解決する日本という評価を国際車キアからされる努力が必要だ。当然、集団的自衛権行使容認は撤回すべきだ。