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燕三条青年会議所主催「三条市の未来を考える公開討論会」の全文(5) (2010.10.24)
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教育(6歳就学〜大学教育まで)
教育についてでありますけれども、これはあらためて申し上げるまでもなく、三条だけでなく日本に生まれたすべての子どもたちは等しく教育を受ける権利があるわけでありますし、わたしたちおとなは、少なくとも子どもたちが生きる力、あるいは基礎的な学力をしっかり身につけるために、教育を受けさせる義務があるわけであります。
ただ、現実はこうした当たり前の前提条件が必ずしも満たすことのできないような状況にもなってきているのではないのかなというふうに思っております。義務教育課程、小学校、中学校の状況を見ましても、いじめや不登校、とりわけ中学校に進学したのちのいじめや不登校の発生件数については、経年変化のなかでまったく減る様子がないわけでございます。
三条市の子どもたちの数は6年ごとに約1,000人ずつ減り続けているというのが現状でございます。今、8,500人でありますけれども、これから3年後には8,000人、3年前は9,000人でした。9年前には1万人子どもたちがいました。非常にそれぐらいの状況で急速な少子化が残念ながら進んでいるにもかかわらず、いじめや不登校の数がまったく減っていないということは、相対的に子どもたちがいじめや不登校という形に巻き込まれてしまっているということが現実の課題なんだろうと思っております。
わたしたちおとなは、そうした状況を看過することは決して許されないわけであります。三条にせっかく生まれ育った子どもたちがしっかりとした生きる力、そして学力を身につけていくためにも教育の制度そのものについて、より改善をしていく必要があるのではないかと思っております。
きょう、お配りをさせていただいております資料のテーマ、まさにここは記載の通りでございますけれども、これから先の方向感としてやはり小中一貫教育の推進をしていくべきであろうというふうに思っております。
ややもすれば、この小中一貫教育の推進にあたっては、中学校が荒れたらどうするんだと、こういうことばかりがどうも不安の先行が進んでいるようでございますけれども、中学生は決してオオカミではありません。中学生も小学生もわたしたちにとって大事な子どもたちであります。
そういう子どもたちの良さをまず見届けたうえで、どういうふうな形で手当てをしていったらいいのか、そのためには、中学校に上がっていくときの子どもの不安定さをできるだけ除去していくということが大切なんだろうと思います。
今ほどのお話のなかで、わたくしが思うには今、この市民の大変、関心の高い小中一体校の問題がございます。そして小中一貫校の問題もございます。小中連携の問題もございます。この言葉を巧みに使い分けてですね、今、市民とトラブルを起こしているこの現状を見ますとですね、わたくしはやっぱり皆さんからも考えていただかなきゃ、本当にあの大事な問題だと思います。
で、この計画にですね、そもそもいったいどのような三条市民を期待してこういう計画にお金をつぎ込みたいとお考えなのか、わたくしには誠に不明確であります。そして、三条全体の体系だった教育という観点から見ますと、一中と二中、三中いろいろまあ理屈はついておりますが、てんでばらばらじゃないかと。下田、栄、あるいは大崎、あちらの方はどうされるのかなあと、こんなふうに懸念をもっております。
そして学力ももちろん大事ですし、生きる力も大事でございますが、その、ほかのですね、いわゆる全人的な教育の分野、例えばコミュニケーション能力とかですね、そういったこの三条の子どもたちに対する教育上の課題発見、あるいは課題設定、この辺はいったいどうなってるんだろうと、こんなふうにも思います。
まあ、知育、徳育、体育なんて良く言いますけれども、そのほかにいわゆるコミュニケーション能力、こんな課題もですね、教育制度のなかでどう実践を図っていくのか。よその自治体では、そういった意味ではいろんな課題を設定してその取り組みは行われておりますが、それは小中一体校でなければ解決しないということではもちろん、ないわけでございます。
しかも、むしろそのことによってですね、地域のコミュニティーの基礎になります小学校が3つもなくなり、中学校なくなりということで、返って混乱と悪影響の方が大きいとわたくしは思います。そして、本気で地域のことを考えるんであれば当然、まちづくりという観点からこのなくなった小学校の跡地の利用とかですね、そういった議論もスタートされるべきであろうと思いますが、まあ、そういった対応策も示されていない。
それと何よりわたくしは六・三制をですね、四・三・二に当初の検討委員会では四・三・二で学力を上げますというようなことをきちんと、あの、文言として残っておりましたですね。それがここんとこきて、六・三制でやりますというようなお話があったりしてどうも、話がおかしくなってる。
で、議論が出てくるたびに、その、対応の答弁が変わってくるというのは、これはちょっといかがかなと、こう思っております。そんな、あの、多分まだきちんと煮詰まってないんだろうと推測もいたしますが、そういう観点から…。
まあ、これまで3年間にわたる議論があり、すべて傍聴可能な会議でございましたので、山井さんもおそらく一回は出席いただいてんのかなあというふうには思っておりますけれども、この議論の積み重ねのなかで今、決定的な違いを皆さま方と一緒になってご認識を一にしたいと思っておりますが、わたしたちが進めようとしている小中一貫教育は、六・三制をなくすっていうことはいっさい言っていません。
六年制と三年制の間にあるギャップを緩やかにしていくためにも、4年のくくり、3年のくくり、2年のくくりというものを六・三制をもちろん大事にしながらカリキュラムのうえで若干、配慮をしていきましょうよということがうたわれ、そうしたことを前提として議論が進んできたわけでございます。
そうしたことはすべての会議にもし、ご出席いただいているのであれば、わかるのではないのかなあというふうに感じながら今、聞いておりました。
カリキュラムの開発もつい最近、なされたようでございまして、用意周到な準備の議論を長時間かけてなされたというふうには聞いておりません。それからですね、その3年間の議論の積み重ね、もうこれは本当にあの、優秀な官僚の皆さんがよく使われる手で、本当に市民に対して愛情ある議論の積み重ねを段取ったのかどうなのかと。わたくしはそれを問題にしたいなあと、こう思うわけでございます。
集まった市民の方が3人。そんな会合を積み重ねてですね、検討、地元の意見も聞いたというふうな結論にいくのは、いかにも無理があるような気がいたします。そして、そもそも、その一体校。これ、何のためにやるのかと。その中一ギャップ云々かんかんとこうおっしゃいますけれども、どんな三条市民像を期待して取り組まれるのか。その辺がわたくしにはまったくわかりません。
ここは議論を深掘りした方がいいと思いますので、あえて乗りますけれども、わたしは小中一貫教育は何のためにやるのかということについては、初めに申し上げたつもりです。公立の教育であります。すべての三条市に生まれた子どもたちが、しっかりとした生きる力と、そして基礎的な学力を身につけていかなければいけない。これが公立教育に課せられた最大の責務であります。それは、いじめや不登校という状況が残念ながら発生してしまえば、そうしたことが実現できないわけでございます。
そのために、いちばん最大の小中一貫教育のねらいとしては、こうしたいじめや不登校、これをそもそもなくしていきましょうということの、一つひとつの積み重ねが小中一貫教育なんだということであります。
見事な論理のすり替えだと思います。生きる力と学力、こんなもん無理に1,500人の学校をつくらなくても十分、できます。無理に集めてやらなきゃできないという議論の一方で、地域のコミュニティーである学校を3つもなくすということを平気でおやりになる。で、わたくしは、これが地元住民に対する愛情と感覚の違いだと、こう申し上げておるわけでございます。
生きる力と学力は今の建物でも十分できます。それからまあ、いろいろいじめがどうのこうの、それは偏見と誤解だとおっしゃいますけれども、むしろこの間、三条市の市政だよりで広島の方の呉学園のあのデータなんかの問題の方がよほどわたしは、重大なたらかしではないかと、あの、思えるくらいでございましてですね、こんな議論を積み重ねて、それで何十億もの投資をお認めくださいというのは、いささかいかがかと思いますが。
この小中一体校について議論を進めていくときにもうひとつ忘れていってはいけないことがございます。それは昨年の9月に残念ながら耐震診断の結果として現れた具体の結果でございます。
耐震構造が確保することができずに、その改善するための道としては一中学区、第一中学校、そして四日町小学校、条南小学校については、改築をしていかなければいけないんだというような状況にわたしたちは迫られているんだということであります。
三条市もしっかりと財政も見ながらやっていかなければいけないというふうに思っておりますけれども、70億円という額を投じたなかでこれまでの議論を積み重ねてきた理想的な教育環境づくりをしていくというのが、一中学区、一体校であります。
耐震の問題はもちろんわかります。ですから耐震の手当てをして、市民の皆さんと議論を重ねながら、新しい制震型な校舎、小学校校舎をつくればよろしいんではないかとわたくしは思っております。
それからですね、やはりもう、こだわり抜きますが、いわゆる学校の統廃合とはっきり言っていただければ、これはまた議論のしようがあるんですが、さもパラダイスがあるかのごとく1,500人の学校、一体校をつくることがですね、ときには一貫教育、連携教育、言葉のあやを微妙に使い分けしながらですね、そのハードだけに取り組んでおられる。
やはり教育はソフトが大事でございますから、それだけのハードにこだわるには、やはりどういう市民を将来に向かって養成をして、この町のエネルギーとするんだという、教育理念の部分のストーリーが語られなけりゃ、ただ学力?、それからなんですか、生きる力。
ものすごく明確に分けていると思うんですけれども、小中一貫教育というのはソフトです。教育そのものをどういうふうにしていきましょうかという話であります。これについての検討を進めてきた結果、いちばん子どもたちにとって大事なところである生きる力、そして基礎的な学力をどうやって身につけいくのかと、こういうことを真摯に検討を進めてきた結果、やはり小学校と中学校の壁を緩やかにしていきましょうという結論に至ったということであります。
その理想的な環境を今度はハードで考えていったときには、一体校というものが出てくるんだということであります。まったく議論のすり替えとかっていうことではなく、小中一貫教育はソフトの話、一体校というのはハードの話ということであります。また、いろんな場面でさまざまなところで訴えていきたいと思っております。
その、要は、根本は教育の合理化を、つまり統廃合をこの部分の合理化を突き詰めていけば、たまさか三高の用地が空いていたからいいな〜と、こういうことで多分ご判断されたんだろうと、こう推測せざるを得ないんです。
で、ハードにあまりにもこだわられてソフトの議論は検討委員会や、あるいは時々の議論を重ねてきたと、こうおっしゃいますが、その議論を多くの市民を巻き込んでということにはならなかった。
まあ、そんなことを考えますとですね、あまりにもその、一貫教育だの、あの一体型だの、併用型だの、言葉だけが飛び交いまして、その懇切丁寧なる概念の違いやら、方法論の違いということが十分、説明されないまま設計図だけがぽんぽん先走って出てくる。こんなやり方でですね、どうして市民の皆さま方が、地域の方々が納得できるか、お考えをぜひいただきたい。
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